「サイレントウィットネス」の版間の差分

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2004年/2005年シーズンの2004年は昨年同様、[[11月21日]]のインターナショナルスプリントトライアルから復帰し、連勝記録を12に伸ばした。続く[[12月12日]]の香港スプリントでも香港の代表格として[[日本]]の[[カルストンライトオ]]と[[サニングデール]]、[[フランス]]の[[アベイ・ド・ロンシャン賞]]の優勝馬ヴァー (Var) 、そして翌年の同レースを制する[[マカオ]](当時)の最速馬ナチュラルブリッツ(Natural Blitz/電光火力)などを迎え撃ち、史上2頭目となる香港スプリントの連覇を達成した。[[2005年]]に入っても、サイレントウィットネスの連勝は止まらず、[[1月23日]]のボーヒニアスプリントトロフィー、[[2月27日]]のセンテナリースプリントカップ、そして[[4月3日]]のチェアマンズスプリントプライズと勝ちつづけ、2年連続で香港短距離三冠を達成し、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[シガー (競走馬)|シガー]] (Cigar) の持つ連勝記録16に並んだ。
 
2005年より、香港の[[チャンピオンズマイル]](冠軍一哩賽)と日本の安田記念をシリーズ化して行われる[[アジアマイルチャレンジ]]が整備され、サイレントウィットネス陣営も[[ブリーダーズカップ・マイル]](と当時の最強馬[[ゴーストザッパー]] (Ghostzapper) とのマッチレース)を目標と明言し、スプリント路線からマイル路線へと活躍の場を求めていくことになる。そして[[4月24日]]、17戦目に選んだのが初めての距離となる1400mの[[クイーンズシルヴァージュビリーカップ]](女皇銀禧紀念盃)であったが、このレースでもサイレントウィットネスは他馬を寄せ付けずに勝利を収め、ついに17連勝を達成した。デビューからの17連勝は[[競馬の競走格付け|グレード制]]導入後の世界記録である(のちにアメリカの[[ゼニヤッタ]]がこの記録に並ぶ。)。また、この日の沙田競馬場では、先に配布された引換券と交換で先着順にサイレントウィットネスの記念野球帽を配布するという催しがあったのだが、2000人以上のファンが殺到し将棋倒しとなる事故が起きた。幸いにして死者は出なかったが、この事故を初めとしてサイレントウィットネスが新聞の一般面のトップを飾ることは非常に多くなり、ひとつの社会現象となっていた。しかし、短期間での連戦の影響からか、この頃からサイレントウィットネスは強く入れ込むようになり、レースで折り合いに苦労する面が見られるようになる。
 
[[5月14日]]には初のマイル戦となる[[チャンピオンズマイル]]に出走する。アジアマイルチャレンジの第1戦のホスト国の総大将として、日本の[[コスモバルク]]やイギリスの[[アトラクション (競走馬)|アトラクション]]らを迎え撃つこととなった。しかしながら、この日もサイレントウィットネスはパレードリング([[パドック]])でもうるさいところを見せ、レースでもスプリント戦とのペースの違いに折り合いを欠いたためジョッキーの[[フェリックス・コーツィー]](Felix Coetzee/高雅志)が抑え切れない形で先行する形となった。ゴール前まで先頭だったが、ゴール寸前のところで直線インコースをすり抜けてきた同厩舎の[[ブリッシュラック]](Bullish Luck/牛精福星)にわずかに差され、連勝は17でストップした。