「ヤップ島」の版間の差分

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m 石貨の記載補足
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[[Image:Yap_Stone_Money.jpg|thumb|left|石貨]]
{{main|石貨 (ヤップ島)}}
巨大な石の[[貨幣]](のようなもの)を用いていることで知られる。ただ、個々の石貨には価値が厳密に設定されているわけではない。石貨の価値を決めるのは個々の石貨の来歴であり、それを所有している者とそれを譲られる者の話し合いによって譲渡の条件が決定される。例えばこの石貨はサイズも大きく、白人が来る前からヤップにあったので極めて価値が高いから、あのパンの木何本と交換しよう、というような条件である。また普通の貨幣のように人が携帯するものではなく、特に大きくて動かせないものは屋外の一定の場所に据えられた状態で、所有者が変わってもその場所は変わらない。よって、経済学的には石貨は貨幣とは見なさない。ただし、かつては石貨は来歴によらず、貨幣として通用していたとする記述も日本国内の文献には存在している<ref>「ミクロネジアの風土と民具」(染木煦著)</ref>。かつて 1898年にドイツのヤップの監督官はある村の住人に道路の補修作業管理命令た。しかし多くの島民が面倒がっ作業に出てこなかっので、ドイツの役人も監督官は、島民の所有する石貨を財産とみなし、役人命令最も価値のあるものの幾つか従わな村への罰金として、「ドイツ当局は島民間での石貨の所有権移転の経緯を否定する」旨を、黒ペンキで×印を書き入れた。財産を失って、石貨上に記まっところ、島は直が慌てて役人に道路命令補修作業従うと、役人応じた。道路補修完了後にドイツの監督官黒ペンキ書きの文字を消し、島民は石貨の所有権移転の経緯を取り戻すこいうができた
 
ヤップの石貨には、古代に石器で切り出してパラオから航海カヌーで運んで来たものと、19世紀1872年から1901年かけてオキーフという[[アイルランド]]系アメリカ人が鉄器で切り出して機帆船で持ち込んだものがあり、前者のほうが価値が高いとされている。また1990年代に日本のNPO「[[アルバトロス・クラブ]]」が[[マウ・ピアイルック]]の協力を得てパラオから航海カヌーで石貨を運ぶ実験を行い、その時に運ばれた石貨をヤップの酋長に寄贈している。
 
==交通==