「高村象平」の版間の差分

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== 人物像 ==
高村自身の述べるところによると、慶應義塾への入学は決して本意ではなかった<ref name="bdke.econ.keio"/>。本当は[[第二高等学校 (旧制)|第二高等学校]](現在の[[東北大学]])か[[秋田鉱山専門学校 (旧制)|秋田鉱山専門学校]](現在の[[秋田大学]]工学資源学部)への入学を志望していたが、入試に失敗したので方針を変え慶應の予科に入ったという<ref name="bdke.econ.keio"/>。そうした入学の経緯からか、予科時代には学問ではなく[[演劇]]に没頭した<ref name="bdke.econ.keio"/>。本科に進んでから、演劇とは縁を切り、[[野村兼太郎]]の指導の下、[[経済史]]を専攻<ref name="bdke.econ.keio"/>。卒業論文の題目は「クライミング・ボーイの研究」というものであった<ref name="bdke.econ.keio"/>。
 
師匠の[[野村兼太郎]]と共に、原史料に基づく研究を行い慶應義塾大学を経済史研究の一大拠点に育て上げた。