「アッピア街道」の版間の差分

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[[Image:Via Appia Antica, Rome, 2004.jpg|thumb|left|180px|]]
[[File:Celio - Porta san Sebastiano 1973.JPG|thumb|right|180px|始点のサン・セバスティアーノ門]]
[[紀元前4世紀|紀元前312年]]に当時の[[ケンソル]]であった[[アッピウス・クラウディウス・カエクス]]の要請により[[元老院 (ローマ)|元老院]]の反対のなか、すでに存在した[[ローマ]]と[[アルバーノ]]丘陵を結んでいた街道を改修、拡大し敷設が始まった。敷石には頑丈な[[ヴェスヴィオ山|ウェスウィウス山]]の[[火山岩]]が用いられた。
 
アッピア旧街道の当初のルートはローマ市内([[カラカラ浴場]]の南東角、ヌーマ・ポンピリオ広場付近)と[[アリッチャ]]、アッピウスのフォルム、[[テッラチーナ]]、[[フォンディ]]、[[フォルミア]]、[[ミントゥルノ]](ミントゥルナエ)、[[モンドラゴーネ]](シヌエッサ)、[[カプア|カープア]]だった。