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[[File:Raate road.jpg|thumb|250px|ソ連によるフィンランド侵攻([[冬戦争]])。]]
{{main|冬戦争|ヴェーザー演習作戦|北欧侵攻|ノルウェーの戦い}}
北欧中立ブロックを形成していたしていた北欧4国は中立政策を固持するために軍拡へと乗り出し、外相会議を密にすることで団結を強めていたが、[[1938年]]に[[ナチス・ドイツによるチェコスロバキア併合解体|ズデーテン問題]]が発生したことにより、ヨーロッパに大きな緊張が走った<ref name="tunoda_280">[[#角田1955|角田1955]]、p.280。</ref>。さらに翌年、ドイツの[[ポーランド侵攻]]によって第二次世界大戦が勃発すると、[[独ソ不可侵条約]]を締結していた[[ソビエト連邦]]がフィンランドとの不可侵条約の破棄を宣言し、侵攻を開始した([[冬戦争]])<ref name="tunoda_281">[[#角田1955|角田1955]]、p.281。</ref>。[[1940年]]、コペンハーゲンで三国外相会議が設けられ、厳正中立の申し合わせと対フィンランド援軍派遣の拒絶が決定され、北欧中立ブロックはあっさりと崩壊してしまうこととなった<ref name="tunoda_282">[[#角田1955|角田1955]]、p.282。</ref>。フィンランドとソ連の戦力差は明らかで、ソ連の圧倒的優位で戦争は進められたが、イギリスとフランスが大規模な援軍派遣を検討していることが表沙汰となるとソ連は態度を軟化させ、フィンランドとの和平交渉に乗り出した<ref name="takeda_180">[[#武田1993|武田1993]]、p.180。</ref>。[[1940年]][[3月12日]]、カレリア地方およびフィンランド湾諸島の割譲などがなどが盛り込まれた[[モスクワ講和条約]]を締結した。[[バルト諸国占領]]などによってソ連の勢いが増したことに脅威を感じていたフィンランドはドイツとの関係を深めることで払拭を試みたが、[[バルバロッサ作戦]]を皮切りとして[[継続戦争]]が開始されると周辺諸国に枢軸国側として認知され、北欧で完全に孤立することとなった<ref name="takeda_1826">[[#武田1993|武田1993]]、pp.182-186。</ref>。
 
[[ファイル:Kongebjorka.jpeg|left|200px|thumb|ホーコン7世(左)と[[オーラヴ5世_(ノルウェー王)|オーラヴ王太子]]、ホーコン7世はナチスドイツの支配に苦しむノルウェー国民の精神的支柱であった。]]