「阿部秋生」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m →‎著書: 出版社項目リンク
編集の要約なし
1行目:
{{出典の明記|date=2011年7月}}
'''阿部 秋生'''(あべ あきお、[[1910年]][[10月24日]] - [[1999年]][[5月24日]])は、日本の国文学者、中古文学専攻、東京大学名誉教授。妻は文学博士[[阿部俊子 (文学博士)|阿部俊子]]
 
==略歴==
[[秋田県]][[秋田市]]生まれ。旧姓青柳。[[樺太]]で育つ。[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]、[[東京大学|東京帝国大学]]国文科卒、同大学院を1937年に退学、[[国民精神文化研究所]]助手を務める。1943年、一高教授、1950年、[[東京大学]][[教養学部]]助教授、1959年、教授。『[[源氏物語]]研究序説』で同年、文学博士号取得。1966年、教養学部長。1967年、同学部アメリカ研究資料センター長。1971年、定年退官、名誉教授となる。[[実践女子大学]]教授、1974年、同大学文学部長、1983年、勲二等[[瑞宝章]]受章。1986年、大学定年退職、実践女子大名誉教授、1988年、[[日本学士院]]会員となる。
[[秋田県]][[秋田市]]生まれ。旧姓青柳。[[樺太]]で育つ。[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]、[[東京大学|東京帝国大学]]国文科卒、同大学院を1937年に退学、[[国民精神文化研究所]]助手を務める。
 
1943年、一高教授、1950年、[[東京大学]][[教養学部]]助教授、1959年、教授。『[[源氏物語]]研究序説』で同年、[[文学博士]]号取得。1966年、教養学部長。1967年、同学部アメリカ研究資料センター長。1971年、定年退官、名誉教授となる。
 
[[実践女子大学]]教授、1974年、同大学文学部長、1983年、勲二等[[瑞宝章]]受章。1986年、大学定年退職、実践女子大名誉教授、1988年、[[日本学士院]]会員となる。
 
==著書==