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{{Otheruses|政治評論家|戦前に活躍したプロ野球選手|森田実 (外野手)|1984年から1989年まで巨人に在籍したプロ野球選手|森田実 (捕手)}}
{{Infobox 人物
|氏名 = 森田
|ふりがな = もりた みのる
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|著名な実績 =
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'''森田 実'''(もりた みのる、[[1932年]]〈[[昭和]]7年〉[[10月23日]] - )は、[[静岡県日本]][[伊東市]]出身の[[評論家|政治評論家]]。株式会社森田総合研究所代表取締役。

妻の甥は、[[医師]]で[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]前[[衆議院議員]]の[[石森久嗣]]がいる
 
== 来歴 ==
[[静岡県]][[伊東市]]出身。[[東京大学]][[工学部]]鉱山学科卒業。在学中に[[日本共産党]]に入党し、[[香山健一]]、[[島成郎]]、[[生田浩二]][[青木昌彦]]らとともに[[全日本学生自治会総連合]]の指導部を形成した。[[1957破壊活動防止法]]反対闘争([[1952年]])、原水爆禁止運動([[1955年]])、[[砂川闘争]]等の反基地闘争反米[[1957年]])、[[安保闘争]]([[1958年]]〜[[1960年]])などに携わる<ref>[http://moritasouken.com/sC3351.HTML 森田実の言わねばならぬ:平和・自立・調和の日本指導つくるために【784】]</ref>。その後、日本共産党幹部と殴り合いを演じた後、共産党を除名されると、[[1958年]]、多くの学生党員らと、[[1958年]]に[[共産主義者同盟]](ブント)を結成し、主に労対関係の任に当たっていた。その後、[[日本評論社]]出版部長、『経済セミナー』編集長を経て、[[1973年]]からフリーの政治評論家として活動。[[東日本国際大学]]客員教授も務める
 
[[2004年]]7月著作本『公共事業必要論』の記念講演会を[[二階俊博]]が代表を務める[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の派閥「[[新しい波 (派閥)|新しい波]]」が主催し、「新しい波」から寄付も得た。<!-- 最近は、自由民主党寄りの政治スタンスへ回帰している{{要出典}}という説があるが、事実とは相違する。-->アメリカ発の[[新自由主義]]に基づく構造改革路線をとった[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]を激しく批判しており、雇用・社会保障を重視した[[修正資本主義]]路線に戻すべきだと提言している<ref>2009年9月 森田実、[[雨宮処凛]]著国家の貧困日本文芸社</ref>。[[小沢一郎政経研究会]]で講演したこともある<ref>[[総務省]] [http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents /000021534.pdf 政治資金収支報告書及び政党交付金使途等報告書]</ref>。
 
== 思想・主張 ==
[[小沢一郎政経研究会]]の講演も行う<ref>[[総務省]] [http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents /000021534.pdf 政治資金収支報告書及び政党交付金使途等報告書]</ref>。
政治評論家として独立以来、ほぼ一貫して[[保守本流]]である[[自由民主党 (日本)|自由民主党]][[宏池会|宏池会(旧宮沢派)]]を支持し、その「経済重視、平和外交」路線を支持してたが、[[2003年]]前後の[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]や宏池会の分裂を経て、その後は自民党内でもそれまで親しくなかった[[亀井静香|亀井]]系を支持するなど方針転換するに至った。かつて[[宮澤喜一|宮澤]]政権誕生前夜には、[[金丸信]]の暗躍を正面から批判する数少ない評論家として活躍し、当時、[[清和会|三塚派]]成立の際に中堅として尽力した[[小泉純一郎]]についても、「正直で信頼できる人間」「竹下派支配に立ち向かう信念ある政治家」「21世紀初頭の総理候補」と激賞している。宮澤支持や小泉への好意と、金丸・[[小沢一郎]]による「闇支配批判の明確な姿勢は、当時の森田の著作(「政変」徳間書店 等『政変』なども明白である。
 
現在の森田のスタンスは、経済においては「[[修正資本主義]]」に近く、政治・外交においては「平和主義」「{{要出典範囲|反米|date=2014年7月}}・対アジア協調」「[[日本国憲法第9条|9条]][[護憲]]、とりわけの立場を採る。日中友好論者でもあり、[[台湾独立運動|台湾独立]]・[[靖国神社問題|靖国神社公式参拝]]には反対している。政治評論家としては珍しく、時々の政治家・政党に対する支持・不支持を明確にしており、[[亀井静香]]や[[野中広務]]、[[綿貫民輔]]、[[鈴木宗男]]といった、小泉政権時の郵政民営化法案や対米依存政策における自民党内の抵抗勢力、[[河野洋平]]、[[加藤紘一]]、[[二階俊博]]、福田康夫ら[[親中派]]の支持者である。とりわけ、綿貫にしては「日本一品格のある政治家」と最大限の賛辞を送っている。鈴木につい対しても、かつては激しい批判を加えていたが、現在では評価に転じている。森田が最も評価していた政治家はかつて小沢一郎の側近だった[[熊谷弘]]で、[[朝日ニュースター]]に出演した際には「真の改革者は熊谷さんだけ!」と絶賛していた。{{独自研究範囲|思想的にはリベラル左派である|date=2014年7月}}
==思想・主張==
政治評論家として独立以来、ほぼ一貫して[[保守本流]]である[[宏池会|宏池会(旧宮沢派)]]を支持し、その「経済重視、平和外交」路線を支持して来たが、2003年前後の[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]や宏池会の分裂を経て、その後は自民党内でもそれまで親しくなかった[[亀井静香|亀井]]系を支持するなど方針転換するに至った。かつては[[宮澤喜一|宮澤]]政権誕生前夜には、[[金丸信]]の暗躍を正面から批判する数少ない評論家として活躍し、当時、[[清和会|三塚派]]成立の際に中堅として尽力した[[小泉純一郎]]についても、「正直で信頼できる人間」「竹下派支配に立ち向かう信念ある政治家」「21世紀初頭の総理候補」と激賞している。宮澤支持や小泉への好意と、金丸・小沢の闇支配批判の明確な姿勢は、当時の森田の著作(「政変」徳間書店 等)にも明白である。
 
21世紀以降の政局では、[[郵政民営化]]に代表される[[新自由主義]]路線に反対の立場で、[[小泉純一郎|小泉]]政権への批判を展開していた。{{要出典範囲|[[公共事業]]は地方活性化のためには必要不可欠な「善」であると主張する。[[談合]]についても、日本の古き良き慣習であると肯定し、談合批判は[[アメリカ合衆国|米国]]の陰謀であると主張する。その小泉の後継者である[[安倍晋三]]に対する批判はさらにヒートアップしたもので、[[北朝鮮]]が[[2006年]]7月5日、[[北朝鮮によるミサイル発射実験 (2006年)|ミサイル発射実験]]を実施した際には、[[日朝平壌宣言]]に明確に違反した北朝鮮への批判は全くと言っていいほど行わず、ひたすら安倍(当時は官房長官)への批判に終始した。また、[[北朝鮮による日本人拉致問題]]についても、「対米従属助長のための陰謀」と断言している。そのような小泉・安倍政権批判への反作用として、以前は厳しく批判していた[[小沢一郎]]が[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]代表に就任すると、「『小沢一郎』入門」なる書物を書き下ろして大絶賛した。しかし、その小沢に対しても[[国際治安支援部隊|ISAF]]参加構想を発表した折には平和主義からの逸脱であるとして厳しく糾弾し、[[大連立構想 (日本 2007)|大連立騒動]]やそれを巡ると民主党代表辞任のゴタゴタを起こすに及んで激しく批判(ただし背景としてウェブサイト上で[[共和党 (アメリカ)|アメリカ共和党]]のエージェントによる小沢への圧力を指摘)。|date=2014年7月}} 以後は小沢民主党批判に転じ、2008年12月に出版された「政治大恐慌 悪夢の政権交代」([[ビジネス社]])では、小沢民主党のままの[[政権交代]]や大連立に警鐘を鳴らして明確に「脱小沢」を説くなど、{{独自研究範囲|政治家個人への評価ではおよそ一貫性とは無縁の論評を身上とする|date=2014年7月}}
現在の森田のスタンスは、経済においては「[[修正資本主義]]」に近く、政治・外交においては「平和主義」「反米・対アジア協調」「9条護憲」、とりわけ日中友好論者で[[台湾独立運動|台湾独立]]・[[靖国神社問題|靖国神社公式参拝]]には反対している。政治評論家としては珍しく、政治家・政党の支持・不支持を明確にしており、[[亀井静香]]や[[野中広務]]、[[綿貫民輔]]、[[鈴木宗男]]といった、小泉政権時の郵政民営化法案や対米依存政策における自民党内の抵抗勢力、[[河野洋平]]、[[加藤紘一]]、[[二階俊博]]、福田康夫ら[[親中派]]の支持者である。とりわけ、綿貫に関しては「日本一品格のある政治家」と、最大限の賛辞を送っている。鈴木についても、かつては激しい批判を加えていたが、現在では評価に転じている。森田が最も評価していた政治家はかつて小沢側近だった[[熊谷弘]]で、[[朝日ニュースター]]に出演した際には「真の改革者は熊谷さんだけ!」と大絶賛していた。思想的にはリベラル左派である。
 
民主党による政権交代が実現した後も小沢に対する批判は続けており、[[2010年]]には[[陸山会]]の[[政治資金規正法]]違反事件を巡る疑惑に対して詳細な説明をしようとしない小沢に「やり方があまりにも姑息で、汚らしい」「独裁者が怖くて民主党議員も小沢を批判できない」などと断じている<ref>{{cite news|url=http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_ichiro_ozawa2__20100525_14/tory/25fujizak20100525003/|title=小沢、不起訴再決定で態度一変 政倫審「出ると言ってない」|publisher=[[夕刊フジ]]|date=2010-05-26|accessdate=2010-05-26}}</ref>。その一方で、[[2011年]][[9月26日]]に出された[[石川知裕]]議員ら3人への有罪判決については痛烈に批判している。
21世紀以降の政局では、[[郵政民営化]]に代表される[[新自由主義]]路線に反対の立場で、[[小泉純一郎]]政権への批判を展開していた。[[公共事業]]は地方活性化のためには必要不可欠な「善」であると主張する。[[談合]]についても、日本の古き良き慣習であると肯定し、談合批判は[[アメリカ合衆国|米国]]の陰謀であると主張する。その小泉の後継者である[[安倍晋三]]に対する批判は更にヒートアップしたもので、[[北朝鮮]]が[[2006年]]7月5日、[[北朝鮮によるミサイル発射実験 (2006年)|ミサイル発射実験]]を実施した際には、[[日朝平壌宣言]]に明確に違反した北朝鮮への批判は全くと言っていいほど行わず、ひたすら安倍(当時は官房長官)への批判に終始した。また、[[北朝鮮による日本人拉致問題]]についても、「対米従属助長のための陰謀」と断言している。そのような小泉・安倍政権批判への反作用として、以前は厳しく批判していた[[小沢一郎]]が[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]代表に就任すると、「『小沢一郎』入門」なる書物を書き下ろして大絶賛した。しかし、その小沢に対しても[[国際治安支援部隊|ISAF]]参加構想を発表した折には平和主義からの逸脱であるとして厳しく糾弾し、[[大連立構想 (日本 2007)|大連立騒動]]やそれを巡ると民主党代表辞任のゴタゴタを起こすに及んで激しく批判(ただし背景としてウェブサイト上で[[共和党 (アメリカ)|アメリカ共和党]]のエージェントによる小沢への圧力を指摘)。以後は小沢民主党批判に転じ、2008年12月に出版された「政治大恐慌 悪夢の政権交代」([[ビジネス社]])では、小沢民主党のままの[[政権交代]]や大連立に警鐘を鳴らして明確に「脱小沢」を説くなど、政治家個人への評価ではおよそ一貫性とは無縁の論評を身上とする。
 
== 人物 ==
民主党による政権交代が実現した後も小沢に対する批判は続けており、[[2010年]]には[[陸山会]]の[[政治資金規正法]]違反事件を巡る疑惑に対して詳細な説明をしようとしない小沢に「やり方があまりにも姑息で、汚らしい」「独裁者が怖くて民主党議員も小沢を批判できない」などと断じている<ref>{{cite news|url=http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_ichiro_ozawa2__20100525_14/tory/25fujizak20100525003/|title=小沢、不起訴再決定で態度一変 政倫審「出ると言ってない」|publisher=[[夕刊フジ]]|date=2010-05-26|accessdate=2010-05-26}}</ref>。その一方で、[[2011年]][[9月26日]]に出された[[石川知裕]]議員ら3人への有罪判決については痛烈に批判している。
=== 政局の予想者として ===
 
== 政局の予想者として ==
かつては各選挙において各党の獲得議席をほぼ正確に当てるなど、選挙や政治情勢予測の正確性で高い評価を得ていた。中期的な展望においても、[[1989年]]の[[第15回参議院議員通常選挙]]で当時の[[日本社会党]]が大勝した際「社会党にとって終わりの始まりになる」と予測。森田の予測通り、その前後に起こった[[冷戦]]構造の崩壊により社会党は衰退の一途を辿ることになった。予測の大胆さが増す一方で、自民党が勝利した際には正確性を失っている。
 
代表的な例を挙げると、2000年の[[第42回衆議院議員総選挙]]の際は、「与党で過半数ギリギリがやっと。場合によっては政権交代もありえる」と断言したが、結果は、当時の[[森喜朗]]政権への批判が強かったとはいえ、与党は480議席中271議席で絶対安定多数を確保<ref>ただし自民党としては公示前に比べ38議席を失ったため、同党にとっては厳しい結果であったと言える。</ref>。[[2001年]]4月、その森政権崩壊に伴う[[自由民主党総裁選挙]]の際は、再登板を目指した[[橋本龍太郎]]の圧勝を断言したが、総裁選の結果は小泉の圧勝であった(ただし、当時は[[平成研究会|橋本派]]が自民党最大派閥で、内外のメディアも橋本勝利を予想するのが一般的であり、森田の予想はそれほど特異なものではなかった)。
 
{{独自研究範囲|小泉政権以降、森田の政治評論は政権批判の度合いを強めていく。選挙・政局予測は自らの願望と渾然一体となり、自民党ないし小泉政権の退潮を主張し続けたが、結果的にはことごとく外れている。
|date=2014年7月}}
 
2003年9月の[[自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]の際は、「小泉再選は100%ない」と断言したが、[[青木幹雄]]など参院橋本派の支持を得て再選された。更に総裁選の終盤で[[野中広務]]が突如引退を覚悟で小泉再選を阻止すると表明した際は、[[スーパーJチャンネル]]で「これで流れが変わる」と断言するが、小泉圧勝という情勢を崩すには至らず、野中の政治的影響力の弱体化を逆に印象付けた。2005年9月の[[第44回衆議院議員総選挙|郵政選挙]]の際は自民党は惨敗して120まで議席を落とすと予測し、郵政造反組が選挙後の[[キャスティング・ボート]]を握ると断言した上、小泉の[[小選挙区]]での落選すら主張したが、結果は自民が296議席を獲得し、小泉自身も1996年以降の衆院選小選挙区制では最高得票数を獲得し当選している。
 
この[[第44回衆議院議員総選挙|総選挙]]で自民党が圧勝した後も、「[[ダカーポ (雑誌)|ダカーポ]]」誌上で[[2006年]]3月に経済失政で小泉政権は退陣に追い込まれ後任には[[谷垣禎一]]が就くと断言したが、実際はその兆候すら見られず、逆に[[堀江メール問題]]で野党民主党の[[前原誠司]]が代表辞任に追い込まれ、小泉は9月の任期満了まで総裁を務めた。[[2007年]]4月の[[2007年東京都知事選挙|東京都知事選]]では早い段階で「(現職[[石原慎太郎]]の)3選はあり得ない」と断言して注目されたが、結果は石原が勝利して3選が実現した。
 
[[第21回参議院議員通常選挙|2007年の参院選]]では自民党は大敗をし、[[第1次安倍内閣|安倍内閣]]は総辞職をすると予想。自民党の大敗は的中したが、安倍は総辞職せずに[[内閣改造]]を行って政権担当を続行した。
 
{{独自研究範囲|こうしたことから、選挙の[[福岡政行]]、軍事の[[田岡俊次]]、経済の[[紺谷典子]]、相場の[[北浜流一郎]]とともに、巨大掲示板を中心にネット上では予想がはずれると指摘されている。|date=2014年7月}}
 
しかし、すでに民主党政権批判に転じていた[[第22回参議院議員通常選挙|2010年の参院選]]では、[[鳩山由紀夫]]の首相辞任と[[菅直人]]後継確定を受けて、民主党の惨敗(党首交代前より悪化)を予測。その後、マスコミ各社の[[世論調査]]で民主党支持率の急回復や菅内閣の高支持率が発表されたのちも、この見方を一切変えず、6月17日付ホームページでは「全国民に訴えたい。菅民主党は[[間接民主制|議会制民主主義]]の破壊者だ。[[ファシズム|ファッショ]]政党の菅民主党との戦いに起ち上がりましょう」と記している。選挙戦では菅総理大臣の消費税引き上げ発言などもあって民主党が徐々に追い込まれ、過半数割れの大惨敗を喫した。願望と予測が一体となって実現した久々の選挙となり、政治評論家の面目躍如となった。
 
しかし、すでに民主党政権批判に転じていた[[第22回参議院議員通常選挙|2010年の参院選]]では、[[鳩山由紀夫]]の首相辞任と[[菅直人]]後継確定を受けて、民主党の惨敗(党首交代前より悪化)を予測。その後、マスコミ各社の[[世論調査]]で民主党支持率の急回復や菅内閣の高支持率が発表されたのちも、この見方を一切変えず、6月17日付ホームページでは「全国民に訴えたい。菅民主党は[[間接民主制|議会制民主主義]]の破壊者だ。[[ファシズム|ファッショ]]政党の菅民主党との戦いに起ち上がりましょう」と記している。選挙戦では菅総理大臣の消費税引き上げ発言などもあって民主党が徐々に追い込まれ、過半数割れの大惨敗を喫した。願望と予測が一体となって実現した久々の選挙となり、政治評論家の面目躍如となった。
== テレビ出演 ==
[[ニッポン放送]]の番組や[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列『[[めざましテレビ]]』で政治評論のコーナーを長年担当していた。[[第44回衆議院議員総選挙|郵政解散]]での[[自由民主党 (日本)|自民党]]圧勝を、自らのウェブサイト等で「[[電通]]の力が大きい」と主張。これが引き金となってか、以降テレビにはほとんど登場せず、[[インターネット]]での言論活動や全国での講演活動に主軸を移している。しかし[[福田康夫]]の総理就任後は、TBSにコメント出演したり、[[日本BS放送|BS11]]の[[INsideOUT]]・[[本格闘論FACE]]や選挙予測特番に時折出演するようになっている。[[2007年]]10月からは[[FNNスーパーニュースアンカー]]([[関西テレビ放送|関西テレビ]])の金曜コメンテーターを担当している([[2014年]]3月降板)他、[[2008年]]7月からは「[[キンキンのサンデー・ラジオ]]」([[文化放送]])の「やさしすぎるニュース」にコメンテーターとして出演している(第1・第3日曜日のみ。第2・第4日曜日は[[二木啓孝]])。
 
=== テレビメディア出演 ===
TV出演時は、当初スーツを着用していたが、2000年頃から[[和服]]を着るようになった。
[[ニッポン放送]]の番組や[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列『[[めざましテレビ]]』で政治評論のコーナーを長年担当していた。[[第44回衆議院議員総選挙|郵政解散]]での[[自由民主党 (日本)|自民党]]圧勝を、自らのウェブサイトなどで「[[電通]]の力が大きい」と主張。これが引き金となってか、以降テレビにはほとんど登場せず、[[インターネット]]での言論活動や全国での講演活動に主軸を移している<ref>[[電通]]を表だって批判した言論人は森田が最初である、と自サイトにおける友人の投稿の形で表明しているが、言論人では[[1981年]]に[[田原総一朗]]が著作『電通』で、1981年に[[大下英治]]が著作『小説電通』で既に電通の社内事情や政治との癒着を明らかにしている。</ref>。しかし[[福田康夫]]の総理就任後は、[[TBS]]にコメント出演したり、[[日本BS放送|BS11]][[INsideOUT]]』『[[本格闘論FACE]]や選挙予測特番に時折出演するようになっている。[[2007年]]10月から[[2014年]]3月まで[[FNNスーパーニュースアンカー]]([[関西テレビ放送|関西テレビ]])の金曜コメンテーターを担当している([[2014年]]3月降板)他たほか、[[2008年]]7月からは[[キンキンのサンデー・ラジオ]]([[文化放送]])の「やさしすぎるニュース」にコメンテーターとして出演している(第1・第3日曜日のみ。第2・第4日曜日は[[二木啓孝]])。
 
TVテレビ番組出演時は、当初スーツを着用していたが、2000年頃から[[和服]]を着るようになった。
== その他 ==
[[電通]]を表だって批判した言論人は森田が最初である、と自サイトにおける友人の投稿の形で表明しているが、言論人では[[1981年]]に[[田原総一朗]]が著作『電通』で、1981年に[[大下英治]]が著作『小説電通』で既に電通の社内事情や政治との癒着を明らかにしている。
 
== 著書 ==
* 『進歩的文化人の研究 体験的戦後史レポート』サンケイ出版 1978年)
* 『戦後左翼の秘密 60年安保世代からの証言』潮文社 1980年)
* 『日本労働組合の秘密 現場からの体験レポート』潮文社 1981年)
* 『政治の流れはこう変わる ポスト中曽根政権を読む』サンケイ出版 1987年)
* 『経済大国の闕政 世紀末、日本の命運』日本評論社 1989年)
* 『社会党の素顔』時事通信社 1990年)
* 『政変 自民党総裁選裏面暗闘史 ドキュメント』徳間書店 1991年)
* 『自民党世紀末の大乱』東洋経済新報社 1992年)
* 『政界大乱 自民解体・新党創生 政界再編劇の読み方』東洋経済新報社 1993年)
* 『政権交代(現代を読む)』時事通信社 1993年)
* 『連立政権 私の細川内閣論』日本評論社 1993年)
* 『日本をダメにする二つの守旧派 官僚とマスコミ大批判』東洋経済新報社 1994年)
* 『森田実の政界大変 自社連立政権の暗部を衝く』徳間書店 1994年)
* 『森田実のニュースのつぼ』東急エージェンシー出版部 1996年)
* 『政官革命を起こせ』東洋経済新報社 1997年)
* 『森田実 時代を斬る』([[日本評論社]]、2003年) ISBN 4-535-58375-7
* 『公共事業必要論』(日本評論社、2004年) ISBN 4-535-58397-8
* 『小泉政治全面批判』 (日本評論社、2006年)
* 『「小沢一郎」入門』三笠書房 知的生きかた文庫 2006年)
* 『小泉政治全面批判』日本評論社 2006年)
* 『水の時代を生きる 上下水道のための公共事業必要論』水道産業新聞社 2006年)
* 『アメリカに使い捨てられる日本 日本の真実を国民に訴える!』日本文芸社 2007 年)
* 『自民党の終焉 民主党が政権をとる日』角川SSC新書 2007 年)
* 『新公共事業必要論 港湾・空港の整備が日本を救う』日本評論社 2008年)
* 『脱アメリカで日本は必ず甦る アメリカの終焉と日本経済再生への道』日本文芸社 2008年)
* 『崩壊前夜日本の危機 アメリカ発世界恐慌で岐路に立つ日本』日本文芸社 2008年)
* 『建設産業復興論 建設業の再生が日本経済を救う』日刊建設工業新聞社 2009年)
* 『政治大恐慌 悪夢の政権交代 誰が日本を救うのか?』ビジネス社 2009 年)
* 『菅民主党欺瞞政治を斬る 詭弁・逃げ・だましの倫理なき菅政治は日本を滅ぼす』2010 森田塾新書、2010年)
* 『独立国日本のために 「脱アメリカ」だけが日本を救う』ベストセラーズ 2011 年)
* 『「[[橋下徹]]」ニヒリズムの研究』東洋経済新報社 2012年)
* 『森田実の言わねばならぬ名言123選』第三文明社 2012年)
=== 共著 ===
* [[副島隆彦]]共著『アメリカに食い尽くされる日本 小泉政治の粉飾決算を暴く』([[日本文芸社]])([[副島隆彦]]との共著)2006、2006年) 
* [[雨宮処凛]]共著『国家の貧困 格差社会を今こそ粉砕せよ!』[[雨宮処凛]]共著 日本文芸社 2009 年)
* [[藤原正弘]]共著『水がなければ未来はない!! 水道サービス持続に向けて 対談[[藤原正弘]] 水道技術研究センター 2011年)
 
== 参考文献 ==
* [[西部邁]]『六〇年安保―センチメンタル・ジャーニー』 第5章「善良な策略家―森田実」([[洋泉社]]MC新書、[[2007年]] 所収、「第5章 善良な策略家―森田実」。
 
== 脚注 ==
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* [[東日本国際大学]]
 
== 外部リンク ==
*[http://moritasouken.com/ MORITA RESEARCH INSTITUTE CO.,LTD] - 現在の公式サイト(2011([[2011]][[7月6日に移転]] -
*[http://www.sbrain.co.jp/keyperson/K-1618.htm 写真・プロフィール(システムブレーン)]
*[http://moritasouken.com/ MORITA RESEARCH INSTITUTE CO.,LTD] - 現在の公式サイト(2011年7月6日に移転)
*[http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/ MORITA RESEARCH INSTITUTE CO.,LTD(森田総研)] - 旧公式サイト
*{{twitter|minorumorita|森田実}}
*[http://www.sbrain.co.jp/keyperson/K-1618.htm システムブレーン:森田実 写真・プロフィール(システムブレーン)・著書]
 
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