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ルビコン川

323 バイト追加, 4 年前
ベッラーリアを流れるのであればウーゾ川
 
一時は乱開発が進んだことなどにより、[[エミリア=ロマーニャ州]]で最も汚れた川の一つに数えられていたが、現在ではきれいになっている。
 
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|File:Fiume rubicone by stefano Bolognini.JPG|河口部の[[ベッラーリア=イジェーア・マリーナ|ベッラーリア]]におけるルビコーネ川
}}
 
== 歴史 ==
=== 古代ローマの「ルビコン川」 ===
[[File:Peutingeriana-Ravenna-Rimini.JPG|thumb|350px|[[:en:Tabula Peutingeriana|Tabula Peutingeriana]] の拡大図。[[ラヴェンナ]] (Ravennna) と[[リミニ]] (Arimino) の間にルビコン川 (fl. Rubico) が描かれている。]]
[[共和政ローマ|共和政]]末期の[[古代ローマ]]においては、東端のルビコン川と西端の[[アルノ川]]を結ぶラインが[[イタリア本土 (古代ローマ)|イタリア本土]]と属州[[ガリア・キサルピナ]]の境界線の役割を果たしていた。[[ローマ軍団|軍団]]を連れてこの川を越え南下することは法により禁じられており、その南下行為はすなわち共和国に対する反逆とみなされた。
 
 
;フィウミチーノ川(現在のルビコーネ川)
:*3世紀に作成され中世に模写された正確性の高い地図([[:en:Tabula Peutingeriana|Tabula Peutingeriana]])では、サビニャーノの近くに「ルビコン川」が描かれている<ref name="47-Rubicon" />。
;ピシャテッロ川
:フィウミチーノ川の北西に並行する
 
1933年8月、[[ベニート・ムッソリーニ]]は「外国からの訪問客に位置を聞かれても答えられない」ために<ref name="47-Rubicon" />、政令によってフィウミーチノ川を「ルビコーネ川」と改称した<ref name="47-Rubicon" />。またサビニャーノ・ディ・ロマーニャの町名もサヴィニャーノ・スル・ルビコーネに改称されている<ref name="47-Rubicon" />。しかしムッソリーニによる裁定には、従来からの論争に対する新たな裏付けがあったわけではなく<ref name="47-Rubicon" />、第二次世界大戦後に「本物のルビコン川」をめぐる論争がかえって紛糾する一因となっている<ref name="47-Rubicon" />。
 
== 文化・観光 ==
ガッテーオ・ア・マーレから右岸沿いに小道があり、堤防に沿って南西の上流に続く。いくつかの村があるが、約25kmほどさかのぼると[[サヴィニャーノ・スル・ルビコーネ|サヴィニャーノ]]という町に着く。鉄道のガードをくぐると、広い道に突き当たるが、右手にある橋を渡らず、そのまま細い右岸の道をたどる。200mほどで行き止まりだが、突き当たりに'''カエサルの立像'''がある。
 
右には石造りの橋があり、修復されているが、川へ降りて橋をよく見るとアーチの根本部分に、古代の石積みが保存されている。下流は湿地帯だが、さかのぼるにつれて川岸もしっかりとしてくる。サヴィニャーノ付近は峡谷状で両岸は岩である。カエサルの軍が橋を架けるのも容易だったと思える。
 
カエサルの像は地元の研究者や[[ロータリークラブ]]が立てたものである。
 
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|File:Fiume rubicone by stefano Bolognini.JPG|河口部の[[ベッラーリア=イジェーア・マリーナ|ベッラーリア]]におけるルビコーネ
|File:Fiume rubicone 1 by Stefano Bolognini.JPG|[[ベッラーリア=イジェーア・マリーナ|ベッラーリア]]に架かる橋(Stefano Bolognini撮影)
|File:Bronzo a giulio cesare sul fiume rubicone.JPG|カエサルのブロンズ像(Stefano Bolognini撮影)
}}
 
== 文化・観光 ==
[[File:SAVIGNANO Statua Cesare.jpg|thumb|250px|サヴィニャーノのカエサル像]]
ガッテーオ・ア・マーレから右岸沿いに小道があり、堤防に沿って南西の上流に続く。いくつかの村があるが、約25kmほどさかのぼると[[サヴィニャーノ・スル・ルビコーネ|サヴィニャーノ]]という町に着く。鉄道のガードをくぐると、広い道に突き当たるが、右手にある橋を渡らず、そのまま細い右岸の道をたどる。200mほどで行き止まりだが、突き当たりに'''カエサルの立像'''がある。
 
右には石造りの橋があり、修復されているが、川へ降りて橋をよく見るとアーチの根本部分に、古代の石積みが保存されている。下流は湿地帯だが、さかのぼるにつれて川岸もしっかりとしてくる。サヴィニャーノ付近は峡谷状で両岸は岩である。カエサルの軍が橋を架けるのも容易だったと思える。
 
カエサルの像は地元の研究者や[[ロータリークラブ]]が立てたものである。
 
== 脚注 ==
36,155

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