「越後国」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
施設の加筆。
72行目:
 
== 国内の施設 ==
{{座標一覧}}
=== 国府 ===
国府は[[頸城(くびき)]]にあった。現在10世紀頃まで国衙は[[上越市]]にあ今池と見「国府」地区の近辺にあったと考えら説が有力視される。この地は越後国の成立時には越<ref name="一宮制p370">『世諸に属していた一宮制基礎的研究』(岩田書院当初2000年)p. 370。</ref>。11世紀以降中世衙にもっと東に諸説るが近年では上越市の直江津地区移転しあったと考えられてい<ref name="一宮制p370"/>
 
=== 国分寺・国分尼寺 ===
* [[五智国分寺|越後国分寺]] (上越市五智)
*: 創建時の遺構は未詳。創建時の位置から移転・再興されたという[[五智国分寺]]([[上越市]]五智、{{ウィキ座標|37|10|6.77|N|138|13|29.74|E|region:JP-15_type:landmark|位置|name=五智国分寺(越後国分寺後継寺院)}})が法燈を伝承する。それ以前の諸説については「[[五智国分寺#歴史]]」を参照。
 
尼寺跡は不詳。
 
=== 神社 ===
; [[延喜式内社]]
: 『[[延喜式神名帳]]』には、大社1座1社、小社55座53社の計56座54社が記載されている(「[[越後国の式内社一覧]]」参照)。大社1社は以下に示すもので、[[名神大社]]である。
* [[蒲原郡]] 伊夜比古神社 (現 [[彌彦神社]])
** 比定社:[[彌彦神社]] ([[西蒲原郡]][[弥彦村]]弥彦)
 
; [[総社]]・[[一宮]]以下
: 『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧<ref>『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)pp. 364-370。</ref>。
* 総社 総社 (上越市北本町)
* 総社:[[府中八幡宮 (上越市)|府中八幡宮]]に合祀 (上越市西本町、{{ウィキ座標|37|10|20.39|N|138|14|14.02|E|region:JP-15_type:landmark|位置|name=越後国総社:府中八幡宮に合祀}})
* 一宮
** '''[[彌彦神一宮:次の2]]''' - 元々一宮説がある
** [[彌彦神社]] (西蒲原郡弥彦村弥彦、{{ウィキ座標|37|42|24.15|N|138|49|33.68|E|region:JP-15_type:landmark|位置|name=越後国一宮、名神大社:彌彦神社}}) - 平安期までは実質的な一宮。
** '''[[居多神社]]''' - 式内小社。国府の近くにあった。[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]以降力をつけ、[[守護]]の[[上杉氏|上杉家]]の力を背景に一宮であると主張し、以後両者が一宮とされるようになった。
** [[居多神社]] ([[上越市]]五智、{{ウィキ座標|37|9|59.18|N|138|13|23.41|E|region:JP-15_type:landmark|位置|name=越後国一宮:居多神社}}) - [[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]から一宮を主張。
* 二宮 [[物部神社 (柏崎市)|物部神社]]または[[魚沼神社]]
* 二宮:[[物部神社 (柏崎市)|物部神社]] ([[柏崎市]]西山町二田、{{ウィキ座標|37|27|14.57|N|138|40|30.47|E|region:JP-15_type:landmark|位置|name=越後国二宮:物部神社}})
* 三宮:八海神社 - 文献に見える神社であるが現在社は未詳。
 
なお、一宮を[[天津神社 (糸魚川市)|天津神社]](糸魚川市)とする説もある。
 
== 地域 ==