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[[静岡県]][[伊東市]]出身。[[東京大学]][[工学部]]鉱山学科卒業。在学中に[[日本共産党]]に入党し、[[香山健一]]、[[島成郎]]、[[生田浩二]]、[[青木昌彦]]らとともに[[全日本学生自治会総連合]]の指導部を形成した。[[破壊活動防止法]]反対闘争([[1952年]])、原水爆禁止運動([[1955年]])、[[砂川闘争]]([[1957年]])、[[安保闘争]]([[1958年]]〜[[1960年]])などに携わる<ref>[http://moritasouken.com/sC3351.HTML 森田実の言わねばならぬ:平和・自立・調和の日本をつくるために【784】]</ref>。その後、日本共産党幹部と殴り合いを演じて共産党を除名されると、[[1958年]]、多くの学生党員らと共に[[共産主義者同盟]](ブント)を結成し、主に労対関係の任に当たっていた。その後、[[日本評論社]]出版部長、『経済セミナー』編集長を経て、[[1973年]]からフリーの政治評論家として活動。[[東日本国際大学]]客員教授も務める。
 
[[2004年]]7月、著作本『公共事業必要論』の記念講演会を[[二階俊博]]が代表を務める[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の派閥「[[新しい波 (派閥)|新しい波]]」が主催し、「新しい波」から寄付も得た。<!-- 最近は、自由民主党寄りの政治スタンスへ回帰している{{要出典}}という説があるが、事実とは相違する。-->アメリカ発の[[新自由主義]]に基づく構造改革路線をとった[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]を激しく批判しており、雇用・社会保障を重視した[[修正資本主義]]路線に戻すべきだと提言している<ref>2009年9月 森田実、[[雨宮処凛]]著『国家の貧困』日本文芸社</ref>。[[小沢一郎]]政経研究会]]で講演したこともある<ref>[[総務省]] [http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents /000021534.pdf 政治資金収支報告書及び政党交付金使途等報告書]</ref>。
 
== 思想・主張 ==
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=== メディア出演 ===
[[ニッポン放送]]の番組や[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列『[[めざましテレビ]]』で政治評論のコーナーを長年担当していた。[[第44回衆議院議員総選挙|郵政解散]]での[[自由民主党 (日本)|自民党]]圧勝を、自らのウェブサイトなどで「[[電通]]の力が大きい」と主張。これが引き金となってか、以降テレビにはほとんど登場せず、[[インターネット]]での言論活動や全国での講演活動に主軸を移している<ref>[[電通]]を表だって批判した言論人は森田が最初である、と自サイトにおける友人の投稿の形で表明しているが、言論人では[[1981年]]に[[田原総一朗]]が著作『電通』で、1981年に[[大下英治]]が著作『小説電通』で既に電通の社内事情や政治との癒着を明らかにしている。</ref>。しかし[[福田康夫]]の総理首相就任後は、[[TBSテレビ|TBS]]にコメント出演したり、[[日本BS放送|BS11]]『[[INsideOUT]]』『[[本格闘論FACE]]』や選挙予測特番に時折出演するようになっている。[[2007年]]10月から[[2014年]]3月までは『[[FNNスーパーニュースアンカー]]』([[関西テレビ放送|関西テレビ]])の金曜コメンテーターを担当したほか、[[2008年]]7月からは『[[キンキンのサンデー・ラジオ]]』([[文化放送]])の「やさしすぎるニュース」にコメンテーターとして出演している(第1・第3日曜日のみ。第2・第4日曜日は[[二木啓孝]])。
 
テレビ番組出演時には、当初はスーツを着用していたが、2000年頃から[[和服]]を着るようになった。
 
== 著書 ==
=== 単著 ===
* 『進歩的文化人の研究 体験的戦後史レポート』(サンケイ出版、1978年)
* 『戦後左翼の秘密 60年安保世代からの証言』(潮文社、1980年)