「シェフィールド (駆逐艦)」の版間の差分

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5月4日、空母機動部隊はフォークランド諸島の南東40海里から50海里にあって、「シェフィールド」を含む3隻の42型駆逐艦は主隊の西18海里で防空任務にあたっていた。「グラスゴー」を主軸上として、「コヴェントリー」が右に、「シェフィールド」が左に占位していた<ref name="nids"/>。なお、当時の海上模様は平穏、天候は曇り、視程は約1.5kmであった<ref name="藤木1991">{{Cite journal|和書|author=藤木平八郎|year=1991|month=5|title=シェフィールドとスターク 現代艦艇のダメコンを検証する|journal=[[世界の艦船]]|issue=436|pages=84-87|publisher=[[海人社]]}}</ref>。
 
1115Z時(0815L時)、アルゼンチン軍のP-2哨戒機が1隻の駆逐艦のレーダー波を逆探知し、「ハーミーズ」がフォークランド諸島の東方にいると考えられたことから、30分以内に[[エグゾセ|エグゾセAM39]][[空対艦ミサイル]]を1発ずつ搭載した[[シュペルエタンダール]][[攻撃機]]2機が[[:es:Río Grandeリオ・グランデ (Tierra del Fuegoアルゼンチン)|リオ・グランデ]]基地を発進した。1400Z時、この編隊は3隻の42型駆逐艦を発見した<ref name="nids"/>。
 
1356Z時、「グラスゴー」の電波探知装置は、シュペルエタンダールの機上レーダによる掃引3回を探知し、ただちに[[短波]](HF)および[[超短波]](UHF)通信によって僚艦に急報した。ただしこのとき、「シェフィールド」のHF装置には要員が配されておらず、一方UHF装置はメッセージ全てを受信することができなかった。また、当時英海軍が採用していたSCOT衛星通信装置は、電波探知装置による探知を阻害する危険があったことから、「グラスゴー」艦長はSCOTの日中の使用を禁止していた。これに対し、「シェフィールド」は「グラスゴー」による最初の探知の前からSCOTによる通信を行っており、このために電波探知装置からの警報を受けることができなかった。1358Z時、「グラスゴー」は目標を再探知して、敵味方不明機2つ、南西方向、25マイルと報告した。1400Z時直後、同艦では対空戦闘配置が下令され、チャフが発射された。このためにシュペルエタンダールは右に逸れて、「シェフィールド」を捕捉することになった<ref name="nids"/>。
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エグゾセAM39は、「シェフィールド」の艦橋後方右舷の水線上約1.8メートルの位置に命中、入射角60度で艦内に突入した。弾頭は爆発することなく、右舷通路、調理室、全部補機室を経て、前部機械室に達したが、[[固体燃料ロケット]]は燃焼を続けており、機械室内の潤滑油や燃料にも引火して、大火災を生じた<ref name="岡田1997">{{Cite book|和書|author=岡田幸和|year=1997|title=艦艇工学入門|chapter=損傷艦艇の被害状況と応急対策|publisher=海人社|isbn=978-4905551621|pages=271-296}}</ref>。
 
本艦では機関区画はシフト配置を採用しており、主機関・発電機・消火ポンプは前後区画に配置されていることから、今回の例のように前部機械室・補機室が機能喪失した場合でも、後部の機械室・補機室によって艦の機能は最低限維持できる見込みであった。しかしアルミ合金製の通風トランクや仕切弁が溶解してしまい、電纜を介した延焼もあって火災は他区画へ拡大し、後部機械室・後部補機室の機能も順次に失われた。電纜類の被覆などの燃焼によって有毒ガスが発生し、また被弾後約30分で電源が失われたこともあって、消火活動は大きく阻害された。電源喪失にともなって消防主管も機能を失ったため、バケツにロープをつけて海水を汲み上げてにかけ用水として使ったという逸話もある。また、艦橋付近の被弾によって通信線が断絶し、指揮機能が低下したことも初期消火活動に悪影響であった可能性が指摘されている<ref name="藤木1991"/><ref name="岡田1997"/>。
 
被弾から約5時間後にフリゲート「[[アロー (フリゲート)|アロー]]」が、ついで「[[ロスシー級フリゲート|ヤーマス]]」<ref name="nids"/>が救援に到着し、外部からの注水も行われた。しかし艦体は鋼製であったものの隔壁はアルミ合金製であり、また木製家具類の焼失もあって、火災範囲は最終的に艦内の約2/3に達した。艦自身の消火活動はほとんど遂行不能となり<ref name="岡田1997"/>、前部のシーダート弾薬庫に誘爆の恐れが生じたことから、2100Z時(1800L時)、総員退去が下令された<ref name="藤木1991"/>。
 
火災は2日間続いたのち鎮火したが、[[アセンション島]]への曳航途上の5月10日、南緯53度04分、西経56度56分で沈没した。荒天に遭遇、浸水沈没したとも、曳航困難で爆破自沈させたとも言われている。沈没地点は南緯53度04分、西経56度56分とされている。最終的に、乗員260名中、死者・行方不明者20名、負傷者24名であった<ref name="藤木1991"/>。
 
== 参考文献 ==