「特攻兵器」の版間の差分

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1944年6月25日元帥会議で[[伏見宮博恭王]]より「陸海軍とも、なにか特殊な兵器を考え、これを用いて戦争をしなければならない。戦局がこのように困難となった以上、航空機、軍艦、小舟艇とも特殊なものを考案し迅速に使用するを要する」と発言がある。陸軍の[[参謀本部]]総長[[東條英機]]、海軍の[[軍令部]]総長[[嶋田繁太郎]]はすでに考案中であると答えた。会議後、軍令部総長兼海軍省大臣の[[嶋田繁太郎]]は、海軍省に奇襲兵器促進班を設け、実行委員長を定めるように指示する。1944年7月1日[[大森仙太郎]]が海軍特攻部長に発令される(正式就任は9月13日)<ref>戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 p34-39</ref>。
 
1944年7月21日、軍令部総長[[嶋田繁太郎]]より連合艦隊司令長官[[豊田副武]]へ発令された大海指四三一号に特殊奇襲兵器としての名前で「[[回天]]」の採用が記載されている<ref>戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 p212-216</ref>。
 
1944年8月[[大田正一]]少尉ら1081航空隊の志願・要望があり、航空特攻兵器である[[桜花 (航空機)|桜花]]の試作研究が決定する<ref>戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 p331-333</ref>。