「亀姫 (徳川家康長女)」の版間の差分

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永禄3年(1560年)、[[駿府]]で生まれた。[[天正]]4年([[1576年]])、[[長篠の戦い]]をめぐる戦功への家康からの褒美として、[[三河国|三河]]の[[新城]]城主・奥平信昌へ嫁いだ。4人の男子([[奥平家昌|家昌]]・[[松平家治|家治]]・[[奥平忠政|忠政]]・[[松平忠明|忠明]])と1女([[大久保忠常]]室)を儲ける。[[慶長]]5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]の戦勝により、慶長6年([[1601年]])夫・信昌が[[美濃国|美濃]][[加納藩]]10万石の藩主に任じられて、三男・忠政共々、加納に移ったことから、'''加納御前'''・'''加納の方'''と呼ばれるようになった。やがて忠政、[[宇都宮藩]]の嫡男・家昌、信昌と夫子らの相次ぐ死去を受けて、剃髪して'''盛徳院'''と号し、幼くして藩主となった孫たちの後見役となった。
 
寛永2年(1625年)、加納において66歳で死去した。戒名は盛徳院殿香林慈雲大姉。墓所は盛徳寺。4人いた妹たちには全て先立たれている
 
== 宇都宮城釣天井事件と亀姫 ==