「サパ・インカ」の版間の差分

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ニナン・クヨチは、数日しか在位しなかったため、しばしばサパ・インカ歴代から外されている。彼は皇太子の地位にいたが、父皇帝ワイナ・カパックが[[天然痘]]により病死した直後に即位したものの、数日を経ずして同様に天然痘により病死した。これがワスカルとアタワルパによる継承戦争につながり、[[スペイン]]人による征服の遠因となった。
 
== スペイン人による征服後のインカ帝国 ==
ニナン・クヨチの死とともに正室の子であるワスカルがクスコで即位、側室の子のアタワルパはキトに幽閉されたが脱走し、5年間にわたる内乱が起きた。スペイン人の[[コンキスタドール]]である[[フランシスコ・ピサロ]]は、この内乱の最中にインカ帝国に侵入し、会戦で勝利しワスカルを幽閉した直後のアタワルパを監禁し、ワスカルとアタワルパ両名を処刑、ここにインカ帝国は瓦解した。
 
一般的にはアタワルパはワスカルに勝利した後、[[1532年]]に即位したとされているが、以上の経緯により即位の事実があったかどうかに異論も出されている。
 
== 新インカ帝国 ==
[[ファイル:POMA0400v.jpg|thumb|180px|マンコ・インカ・ユパンキ]]
スペインの征服の後も、インカ帝国の統治体制が消滅するまでの間、数人のサパ・インカが存在している。
 
** '''[[パウリュ・トゥパック・ユパンキ]]'''('''''Pawllu Tupaq Yupanki'''''、{{lang-en-short|''Pawllu Tupac Yupanqui''}}、在位[[1537年]]-[[1549年]])
** '''[[カルロス・パウリュ・インカ]]'''('''''Carlos Pawllu Inka'''''、{{lang-en-short|''Charles Pawllu Inca''}}、在位[[1549年]]-[[1572年]])
 
== ビルカバンバのインカ帝国 ==
[[ファイル:POMA0400v.jpg|thumb|180px|マンコ・インカ・ユパンキ]]
{{Main|{{仮リンク|ビルカバンバのインカ帝国|es|Incas de Vilcabamba|en|Vilcabamba, Peru#Inca Government in Vilcabamba|label=ビルカバンバ(''Vilcabamba'')のインカ帝国}}}}
 
一般的には、亡命政権を打ち立てたマンコ・インカ・ユパンキを正統と見なし、パウリュ・トゥパック・ユパンキ、カルロス・パウリュ・インカの2代は歴代に含めない。
 
[[ビルカバンバ]](Vilcabamba)を拠点に山岳地帯から熱帯雨林地帯にかけて支配した亡命政権「新しいビルカバンバのインカ帝国」皇帝としては、次のとおり。
* '''マンコ・インカ・ユパンキ'''('''''Manqu Inka Yupanki'''''、{{lang-en-short|''Manco Inca Yupanqui''}}、在位[[1536年]]-[[1544年]])
* '''[[サイリ・トゥパック]]'''('''''Sayri Tupaq'''''、{{lang-en-short|''Sayri Tupac''}}、在位[[1545年]]-[[1560年]])
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