「シモン・ボリバル」の版間の差分

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=== 大コロンビア ===
[[1819年]]12月、ボリバルは{{仮リンク|アンゴストゥーラ議会|es|Congreso de Angostura|en|Congress of Angostura}}でヌエバ・グラナダ共和国の大統領と軍指揮官になった。ボリバルは議会にヌエバ・グラナダとベネズエラを合併した新しい国家の創設を要請した。直ちに現在のベネズエラ・コロンビア・[[パナマ]]・[[エクアドル]]を合わせた地域がコロンビア共和国(後世呼ばれる[[大コロンビア]])として宣言された。しかし、ベネズエラと[[キト]]と[[グアヤキル]]は依然としてスペインの支配下であった。
 
[[1820年]]にボリバル軍とスペインの間で6ヵ月の休戦条約が結ばれるが、休戦期間終了後間もなく、ボリバルとスペイン軍の間で戦闘が起こる。 ベネズエラに侵攻したボリバルは[[1821年]]6月の{{仮リンク|カラボボの戦い (1821年)|en|Battle of Carabobo}}で勝利し、故郷カラカスを奪還する。ボリバルは、大コロンビアの憲法起草のための{{仮リンク|ククタ議会|es|Congreso de Cúcuta|en|Congress of Cúcuta}}に招集され、初代コロンビア共和国の大統領として指名を受けた。そして国内が一応固まる様子をみせると、内政はそれまで副官を務めていたヌエバ・グラナダ人の副大統領[[フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデル|フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデール]]以下に任せて、ボリバルは王党派の牙城[[ペルー]]方面の解放に向かった。
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