「エドワード・S・モース」の版間の差分

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同月、東大法理文学部の教授に就任。当時、設立されたばかりの東大の外国人教授の大半が研究実績も無い宣教師ばかりだったため、これに呆れたモースは彼らを放逐すると同時に、日本人講師と協力して専門知識を持つ外国人教授の来日に尽力<ref name="ishikawa"></ref>。[[物理学]]の教授には、[[トマス・メンデンホール]]を、[[哲学]]の教授には[[アーネスト・フェノロサ]]を斡旋した。さらに、計2,500冊の図書を購入し、寄贈を受け、東大図書館の基礎を作った。
 
そして江ノ島の漁師小屋を『臨海実験所』に改造し、7月17日から8月29日まで採集した。9月12日、講義を始めた。9月16日、動物学科助手の[[松村任三]]や、生徒であった[[佐々木忠次郎]][[松浦佐用彦]]、[[松村任三]]と[[大森貝塚]]を掘り始め、出土品の優品を[[国立科学博物館|教育博物館]]に展示した。9月24日、東大で進化論を講義し、10月、その公開講演もした。
 
大学での講義や研究の合間を縫って、東京各地を見物し、[[日光]]へ採集旅行もした。これらの間に、多くの民芸品や陶磁器を収集したほか、多数のスケッチを書き残した。