「バッティスタ・ファリーナ」の版間の差分
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戦後直後から、多くの自動車メーカーのデザイン、ボディ生産を手がけ、遂に[[1958年]]、最も近代的な巨大プラントを設立。
[[1961年]]、法務大臣の提案で、[[イタリア]]の[[ジョヴァンニ・グロン|グロンキ]][[共和国大統領 (イタリア)|大統領]]は社会的で産業の活動における彼の業績を考慮、彼の姓を[[ピニンファリーナ]](Pininfarina)へと改名することを認可。また、彼の娘ジャンナの夫である[[レンツォ・カルリ]](Renzo Carli)、息子[[セルジオ・ピニンファリーナ]](Sergio Pininfarina)に経営権を譲るが、仕事は継続。
[[1966年]][[4月3日]]、永眠。彼の業績を称えられ各国から、勲章、名誉市民など栄誉を受ける。
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