「避病院」の版間の差分

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Poohpooh817 (会話 | 投稿記録)
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==避病院と収容患者の状況==
病院という形式は取っていたものの、コレラは未知の病であり治療を施す余地は少なかった。また、当時は医療従事者が少なかったこともあり、現代の医療水準からすれば感染者を隔離するだけの施設という状況にあった。当時の患者側の意識も、「コレラは[[祟り]]」という時代であり、[[加持祈祷]]で回復を試みたあげく症状を悪化させ、末期的症状になってから運ばれてくるケースが多く「生きて帰れる場所ではない」という風評に拍車を掛けた<ref>巷間では生き血をとられて絵具にされるといわれていた[http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920354/74 「更紗の絵具は避病院で取る生血」1882年6月16日東京絵入新聞『新聞集成明治編年史. 第五卷』](国立国会図書館近代デジタルライブラリー)</ref>。政府は、通達等で官憲による収容も可能とするとともに、患者の加持祈祷を規制した。
 
==避病院の設置場所==