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また、建築史学を専門とする東工大教授、名古屋工業大学名誉教授 [[内藤昌]]は、伝統的な建物を建てる大工([[番匠]])の[[木割書]]と家相との関係を深く研究しており、朝廷や幾内を中心とする社寺に属した技術者が陰陽道の知識を深く保持し、特に法隆寺や四天王寺などに属した大工は、流派を形成し、その技術と知識は秘伝として口伝にて継承していたと文献に記載している。家相書は、その高貴な建築に携わる位の高い技術者(番匠)が口伝により伝えていたものを書物化した木割書の影響を受けて出版されたと論じている。
 
また「家相の民俗学」という書籍で、著者の宮内貴久は、内藤昌の研究に対し異論を唱えているが、家相は建築行為に関わるものであり、高度な建築知識(名古屋工業大学名誉教授、東工大教授)を持つ[[内藤昌]]が、当時の番匠が実践的に家相を伝承していたという建築学、歴史学上の研究内容の方が、はるかに整合性が高い。事実、昭和56年に[[番匠保存会]]が設立され、現在も京都、奈良において番匠による秘儀、秘伝の伝承、継承は続いており、現在でも[[春日大社]]、[[興福寺]]などの造営では、[[番匠棟上槌打]]という祭祀、儀式が行われている事実が物語っている。
 
家相は、一般的に言われる方位の吉凶判断が主体ではなく、陰陽道として、[[神道]]、[[仏道]]、[[道教]]と深く関わっており、建築儀礼、及び祭祀において、建物やその住まい手の繁栄を祈願する儀式、[[祭祀]]を含んだものである。