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引退後の[[1951年]]に米軍の慰問使節団の一員として[[日本]]を訪問している。
 
ルイスは引退するまでの間に460万ドル以上を稼いだとされているが、そのほとんどが搾取され、ルイスが受け取ったのはわずか80万ドルだけであった<ref>{{cite web|url= http://www.arlingtoncemetery.net/joelouis.htm |title= Joe Louis |publisher= |date= 2006-04-16 |accessdate= 2013-11-25}}</ref>。それにもかかわらず、ルイスは寄付行為や親兄弟に家や車を買い与え浪費。さらにレストラン、保険業、ソフトボールチームの運営、牛乳屋、広告代理店、カフェ、馬の牧場などさまざまな事業に手を出すが全て失敗し無一文になる<ref>{{cite web|url= http://www.pbs.org/wgbh/amex/fight/peopleevents/p_louis.html |title= Joe Louis (1914-1981) |publisher= |date= 2004-09-22 |accessdate= 2013-11-25}}</ref>。税金の支払いを100万ドル以上抱え滞納し、母親の遺産国税局に差し押さえられるまでほど経済的に困窮したルイスはプロレスラーに転向する、数試合で心臓を悪くして続けられなくなると今度はプロレスのレフェリーとして活動した。
その後晩年は[[ラスベガス]]の[[ホテル]]で[[カジノ]]客らに相手の接客業を長く続けていたが、その中で一番多く質問されたのは「[[モハメド・アリ|アリ]]とやって勝つ自信はあるか?」だったという。
 
[[1981年]][[4月12日]]、病気の為に逝去。{{没年齢|1914|5|13|1981|4|12}}。ボクサー時代の偉大な功績を称えられ、その死後、[[ワシントンD.C.]]にある[[アーリントン国立墓地]]に埋葬される栄誉を得た。
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