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'''荒木 伸吾'''(あらき しんご、男性、[[1939年]][[1月1日]] - [[2011年]][[12月1日]])は、日本の[[アニメーター]]、[[キャラクターデザイナー]]。作画プロダクション「有限会社荒木プロダクション」[[代表取締役]]。[[日本アニメーター・演出協会]](JAniCA)会員。[[車田正美]]原作漫画の[[アニメーション]]作品を多数手がけている。
 
代表作は『[[聖闘士星矢 (アニメ)|聖闘士星矢]]』『[[キューティーハニー]]』『[[魔女っ子メグちゃん]]』など。その端正な絵柄で、[[1970年代]]から[[1990年代]]初頭まで、アニメで美形キャラクターと言うと、荒木伸吾デザインの代名詞とされるほどだった。アクション作画の腕前を評価する声も多い。
 
== 略歴 ==
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[[1979年]]の東京ムービー作品『[[ベルサイユのばら]]』を終えると、荒木プロダクションは、[[1980年]]から同じく東京ムービーで、[[フランス]]との合作作品『[[宇宙伝説ユリシーズ31]]』『ルパン8世』『ガジェット警部』『シャンソン・ノノ』『ヒースクリフ』を[[1983年]]まで手がけて、日本国内ではアニメファンに対して目立った仕事がなかった。フランスとの仕事ではソフトな演技を学び、後の仕事に役立ったという。
 
荒木の作風の人気に再び火がついたのは、[[1986年]]の[[車田正美]]原作の『[[聖闘士星矢 (アニメ)|聖闘士星矢]]』のテレビアニメ化による。3年間にわたって放送され、自他ともに認める荒木・姫野の代表作となり、[[2000年代]]以降も続編を制作する人気シリーズとなった。その後は車田作品の『[[リングにかけろ|リングにかけろ1]]』・『[[風魔の小次郎]]』に加え、[[横山光輝]]作品の[[リメイク]]版など、多くのキャラクターデザインを手がけるようになった。この人気を背景に、荒木・姫野のオリジナルキャラクターデザインによる[[コンピュータゲーム]]『[[BURAI]]』(1989年)<ref>『BURAI』の原作・シナリオ等を手がけた[[飯島多紀哉|飯島健男]]は自著『ゲーム業界白書』の中で、「荒木の参加によってこれまでパソコンゲームに見向きもしなかった女性層に興味を持ってもらえ、発売前後のショップイベント等では珍しく女性ファンの姿を見る事ができたが、肝心のソフトの売り上げはそれまでの作品と比べて大差無かった(=荒木キャラに熱中する女性ファンは、ソフトを買うほど作品そのものには入れ込んでくれなかった)」と当時を述懐している。</ref>と『KIGEN 輝きの覇者』(1991年)が発売された。
 
『聖闘士星矢』以降も東映動画作品を主としてキャラクターデザインを続けたが、作画監督を務めることは少なくなっていった。
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* [[ふしぎなメルモ]] (1985年、作画監督)
* [[メイプルタウン物語]] (1986年、作画監督)
* [[聖闘士星矢 (アニメ)|聖闘士星矢]] (1986年、キャラクターデザイン・作画監督)
* [[横山光輝 三国志]] (1991年、キャラクターデザイン・作画監督)
* [[シュート!|蒼き伝説 シュート!]] (1993年、キャラクターデザイン・作画監督)
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* [https://twitter.com/SHINGObySHINJI @SHINGObySHINJI] [[Twitter]] ※ご子息によるアカウント。
 
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{{DEFAULTSORT:あらき しんこ}}
 
[[Category:日本のアニメーター]]
[[Category:アニメのキャラクターデザイナー]]
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[[Category:1939年生]]
[[Category:2011年没]]
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