「カーナーヴォン城」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
44行目:
エドワード1世はGarth Celynを包囲して保護下におき、イングランド王家の住まいとイングランド支配に対する抵抗を封じ込めるための本拠地としてカーナーヴォン城を築き、さらに現在のスノードニア国立公園を囲むその他の要塞として[[コンウィ]]、ハーレフ、ビューマリスに城を築いていった。これら4つの城が[[UNESCO]][[世界遺産]]に「[[グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁]]」の名で登録されている。
 
カーナーヴォンが城を建てる地として選ばれたのは、[[メナイ海峡]]へSeiont川が注ぐ、河岸に位置することから戦略上重要であったためである。かつてこの地には古代ローマ人の砦があり、後に[[モット・アンド・ベーリー]]型の城が1090年頃初代[[チェスター伯]]ユー・ダヴランシュによって建てられた。当時の城は、両側が水辺であり、他方はカーナーヴォンの城壁に囲まれていた。19世紀、Seiont川に面した地域はカーナーヴォン港拡張のため埋め立てられ、現在はカーナーヴォン城の駐車場の一部となっている。
 
==建設==