「カール6世 (神聖ローマ皇帝)」の版間の差分

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森園千歳 (会話 | 投稿記録)
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*家臣の忠告を無視し、娘に政治家としての教育を施さず、大した軍事力を残さなかったために、各国から侵攻を受けた際、マリア・テレジアは非常に苦労した。
*死の直前まで男児誕生(ただし娘マリア・テレジアの子=孫)を夢見ていた。なお、カール6世の死亡時にマリア・テレジアは第4子を懐妊中で、この子こそ待望の男児(後の皇帝[[ヨーゼフ2世|ヨーゼフ]])であったが、その誕生は1741年3月であった。
*[[プロイセン王国]]の[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ2世]]が確執関係にあった父[[フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム1世]]から廃嫡の憂目にあったのを見かねて、自ら調停に乗り出して父子関係を修復させたことがある<ref>菊池、p191 - 192</ref>。
 
== 脚注 ==