「ベンガジ」の版間の差分

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だが20世紀初頭に[[イタリア]]に占領され、港湾が整備されたことから、1930年代には商業上、軍事上の要地として重要な位置を占めるようになった。またこの時期に多数の[[イタリア人]]が移住した。[[第二次世界大戦]]が勃発すると[[1940年]]12月に[[イギリス軍]]に占領されたが、[[エルヴィン・ロンメル|ロンメル]]以下[[ドイツアフリカ軍団]]により1941年1月、再び枢軸国側に落ちた。この後も再三支配者が入れ替わり「振り子戦争」と呼ばれることになるが、最終的にイギリス軍により占領されることになった。戦後はキレナイカ王国の首都となり、[[リビア王国|リビア連合王国]]が成立した後は、トリポリとともに首都となった([[複都制]]。国王と政府機関は季節によって両首都を使い分けていた)。
 
=== 近現代 ===
[[ファイル:Benghazi University.jpg|thumb|none|220px|旧リビア大学]]
[[1955年]][[リビア大学]]が創設され近代的なビル街も整備されたがイスラム色が色濃く残っている地域でもある。60年代からの内陸での油田の開発により[[オイルマネー]]が流入、急速に発展した。それとともに製塩、食品加工、セメント、なめし皮、水産業、観光など諸工業が勃興した。現在では長年の水不足を解消するべく世界最大級の[[海水淡水化]]プラントが稼動している。
 
[[1969年]]の[[ムアンマル・アル=カッザーフィー]](カダフィ大佐)による革命による王制廃止にともない、首都としての地位を失った。ベンガジはカッザーフィーへの支持が低く<ref name=reuters20110220>{{Cite news
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|accessdate=2012-05-27
}}</ref>。
 
== 近現代 ==
[[ファイル:Benghazi University.jpg|thumb|none|220px|旧リビア大学]]
[[1955年]][[リビア大学]]が創設され近代的なビル街も整備されたがイスラム色が色濃く残っている地域でもある。60年代からの内陸での油田の開発により[[オイルマネー]]が流入、急速に発展した。それとともに製塩、食品加工、セメント、なめし皮、水産業、観光など諸工業が勃興した。現在では長年の水不足を解消するべく世界最大級の[[海水淡水化]]プラントが稼動している。
 
2011年のカダフィ政権崩壊後より続く混乱の中で、2014年7月、ベンガジの政府軍特殊部隊の本部をイスラム系武装勢力のアンサール・アッ=シャーリアが襲撃。数日間の戦闘の後にアンサール・アッ=シャーリア側が勝利し、施設を占拠した<ref>{{Cite news|url=http://www.afpbb.com/articles/-/3021924|title=リビアのイスラム勢力、ベンガジの主要軍基地を占拠|work=AFPBBNews|publisher=フランス通信社|date=2014-07-31|accessdate=2014-08-01}}</ref>。