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== 来歴 ==
[[東京市]][[大森 (大田区)|大森]](現・[[東京都]][[大田区]]大森)出身。[[第一高等学校 (旧制)|旧制一高]]に首席合格、[[東京大学]]文学部心理学科卒業。[[1953年]]、[[読売新聞社]]に入社。当初兼業作家だったため、ペンネームは「社の用」にかけて付けた。[[1959年]]に新聞社を退社。最も好きな推理作家として英国の[[アンドリュー・ガーヴ]]の名を挙げている。[[黒岩重吾]]に「血や汗を流していない小説」と批判され、「むしろ賛辞と受け止めたい」と返したほど知的遊戯としてのミステリを貫いているが、一方でシリーズ探偵には否定的立場を取り、エキセントリックな犯罪や大掛かりなトリックも排除するなど、ほどのよいリアリズム、中庸さが持ち味でもある。雑誌発表短編を直接文庫本にまとめるケースも多い。短編を一千編以上書き、その多くが文庫化されたが、消費税導入で価格の改定が起きた際に、その多くが再を止められた。出版社にしてみれば、カバー部分の書き換えを行うよりも、新しい作家のものを出したほうがいいと判断したのだろう、と佐野は回想している<ref>[[最相葉月]] 『星新一〈下〉―一〇〇一話をつくった人』 [[新潮文庫]] ISBN 978-4101482262、365p。それを聞いた[[星新一]]は、「ぼくなんてそんな影響ないよ」と答えた。実際、星の文庫本は売れていた。同書369pには、昭和63年2月15日に新潮文庫の総発行部数が2千万部を突破し、[[松本清張]]・[[司馬遼太郎|司馬{{JIS2004フォント|&#63939;}}太郎]]に次ぐ総発行部数である旨の記述がある。</ref>。
 
論客であると同時に作家同士の交友には積極的なタイプで(上記の黒岩とも私生活上は親しい友人であった)、[[多岐川恭]]、[[河野典生]]、[[星新一]]、[[水上勉]]、[[結城昌治]]らとともに若手作家の親睦団体「他殺クラブ」を結成、のち[[笹沢左保]]、[[大藪春彦]]、[[都筑道夫]]、[[生島治郎]]、[[戸川昌子]]らも加えて70年ごろまで活動した。
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