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Ellsiemall (会話 | 投稿記録)
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== 生涯 ==
[[1884年]]([[明治17年]]17年)、[[東京市]][[浅草区]]向柳原町(現在の[[台東区]][[浅草橋]])に市の下級官吏の長男として生まれる。はじめ裕福だった家は彼が[[開成中学校・高等学校|東京府開成中学]]に入学した12歳の頃には没落を始め、同中学を退学、給仕などをこなしつつ[[国民英学会]]の夜学に通い、[[1904年]]に東京市の小学校[[代用教員]]となる。この頃から[[幸徳秋水]]の「平民新聞」を購読し、やがて多くの[[アナキズム|アナキスト]]との親交をもつに至る。
 
[[1909年]]には上野高等女学校(現在の[[上野学園中学校・高等学校]])の英語教師となるかたわら[[チェーザレ・ロンブローゾ|ロンブローゾ]]の著作を『天才論』と題して訳し始めるなどしたが、[[1912年]]、生徒であった[[伊藤野枝]]との恋愛問題で同校を退職させられ、以後定職に就くことはなかった。野枝との間に[[1913年]]生まれた長男が[[辻まこと|辻一]](辻まこと)である。翌[[1914年]]には『天才論』は出版され20数版を重ね、妻野枝は雑誌「[[青鞜]]」の主力として活躍する。また同じ頃、アナキスト[[大杉栄]]が辻夫妻と出会っている。