「シャド・ガスパード」の版間の差分

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== 来歴 ==
幼少のころから時代、父に[[ボクシング]]などの格闘技を習い、高校時代には[[レスリング]]、[[バスケットボール]]、[[陸上競技]]などのクラブスポーツを掛け持ちしていた。[[:en:Georgia Perimeter College|ジョージア州立パリメーター大学]]卒業後は[[ボディガード]]などを経験し、[[タフイナフ|タフイナフ2]]に申し込むが身体検査で不合格となっている
[[:en:Georgia Perimeter College|ジョージア州立パリメーター大学]]卒業後は[[ボディガード]]などを経験し、[[タフイナフ|タフイナフ2]]に申し込むが身体検査で不合格となっている。
 
=== WWE ===
その後[[2002年]]、[[OVW]]と契約に入団。'''ダ・ビースト'''の[[リングネーム]]で[[2003年]]にデビューし、[[カーリー・コロン]](後にカリートとしてWWEで活躍)の用心棒という[[ギミック (プロレス)|ギミック]]を与えられる。しかしカーリーがWWE昇格したため、リングネームを本名の'''シャド・ガスパード'''に改め変更ししばらくシングルプレイヤーとして活動したのち。後に[[WWE]]とディベロップメント契約を結び、[[ジェイソン・ポール|ザ・ネイバーフッディ]](後にJTGと改名)とタッグを結成。[[OVW|OVW南部タッグ王座]]を2度獲得するなどタッグ戦線で活躍した。
 
[[2006年]]9月にザ・ネイバーフッディ改めJTGと共にWWEに昇格し、チーム名を'''[[クライム・タイム]]'''に改める変更。[[ストリート・ギャング|ストリート・サグ]]のコンビというギミックで[[WWE・ロウ|RAW]]に登場し、当時[[WWE・世界タッグチーム王座|WWE世界タッグ王者]]だった[[スピリット・スクワッド]]や[[チャーリー・ハース]] & [[ネルソン・フレイジャー・ジュニア|ヴィセラ]]などのチームから勝利を収め、[[2007年]]8月にもノンタイトルながら当時の世界タッグ王者である[[ケイド&マードック|ケイド & マードック]]を破るなど活躍していたが、9月2日に突如JTGともどもWWEから解雇された。
 
WWE解雇、DCW(Derby City Wrestling)と[[ブッカー・ハフマン|ブッカーTJAPW]]が主宰する(Jersey All Pro Wrestling)といったインディー団体などに出場し、[[2008年]]3月にWWEと再契約。7月には短期間ながらもトップスターである[[ジョン・シナ]]とユニットを結成し、[[ジョン・レイフィールド|JBL]] & [[コーディ・ラネルズ|コーディ・ローデス]] & [[テッド・デビアス・ジュニア|テッド・デビアス]]と抗争する。シナとのユニットが自然消滅した後もコーディ・ローデス & テッド・デビアスとは抗争を継続。彼らが保持していたタッグ王座ベルトを盗むなど挑発し、9月の[[アンフォーギヴェン]]で試合にこぎつけるが敗れてしまいタッグ王座奪取とはならなかった。
 
コーディ・ローデス & テッド・デビアスと抗争[[ジョン・ヘニガン|ジョン・モリソン]] & [[マイク・ミザニン|ザ・ミズ]]との抗争を経て、[[2009年]]のドラフトで[[スマックダウン|SmackDown]]に移籍。[[ハート・ダイナスティ]]とのコンテンダーズ・マッチに勝利し、[[サマースラム]]で[[WWE・統一タッグチーム王座|WWE統一タッグ王者]]である[[クリス・ジェリコ]] & [[ポール・ワイト|ビッグ・ショー]]に挑戦する権利を獲得するも、圧倒されて敗戦またしても王座獲得を逸した。10月には[[ハート・ファウンデーション#ハート・ダイナスティ|ハート・ダイナスティ]]を破って[[ブラギング・ライツ]]でのスマックダウンSmackDown代表に選出されるも、キャプテンのクリス・ジェリコが現代表と代表決定戦に敗れた者による5対5の入れ替え戦を提案し、の試合に敗れたため代表の座を失うちなみにの試合にシャド自身は都合により出場できず4対5のハンディマッチとなっていた
 
以降タッグ戦線で活躍するも、[[2010年]]4月2日放送スマックダウンSmackDownで[[ジョン・ヘニガン|ジョン・モリソン]] & [[ロン・キリングス|Rトゥルース]]と対戦した際にシャド自身が一方的に攻められあっという間にピンフォール負けを喫する。試合後カットに入らなかったJTGと口論になった末に暴行を加えてタッグを解散。「クライム・タイムなんてもうウンザリだ。これからはマイ・タイム(俺の時代)だ!」と宣言し、[[ヒール (プロレス)#ヒールターン|ヒールターン]]してシングルプレイヤーに転向。髪を切り落として丸刈りにし、試合時以外はスーツを着用するというクライム・タイム時代とは変わった姿となった。
 
SmackDownで後もJTGへと襲撃以降、継続て介入するようになって抗争を開始。4月25日の[[WWEエクストリーム・ルールズ|エクストリーム・ルールズ]]でストラップマッチ形式での清算試合による遺恨戦を行いJTGを圧倒。ダウンしたJTGを背負ったままコーナーへとタッチしていに行ったが、気付いたJTGはシャドがコーナーにタッチした後、こっそりそのコーナーにタッチしていくという頭脳プレーを見せ、最後に焦って隙だらけとなったシャドはダ・シャウト・アウトを決められ最後のコーナータッチを逃して敗れた。しかしそ次週遺恨戦後、5月4日の[[WWE・スーパースターズ|Superstars]]では通常ルールで対にてJTGと再戦しシャドが勝利している。JTGとの対戦後、[[FCW (プロレス)|FCW]]へ降格し、WWE復帰を目指してトレーニングを続けていたが11月19日付けで解雇が発表された。
 
=== インディー団体 ===
その後、[[FCW (プロレス)|FCW]]での調整を命じられ、若手の対戦相手を務めながらWWE復帰を目指してトレーニングを続けていたが、11月19日付けで解雇が発表された。
WWE解雇後、[[2011年]]1月22日、FWE(Family Wrestling Entertainment)に参戦し、[[チャーリー・ハース]]と対戦して勝利した。2月5日には[[イノキ・ゲノム・フェデレーション|IGF]]に参戦するため初来日し、Genome 14にて[[ボビー・ラシュリー]]とタッグを組んで[[澤田敦士]] & [[エリック・ハマー]]と対戦するが敗戦した。
 
[[2013年]]4月19日、QPW(Quintessential Pro Wrestling)へと参戦し、[[ウィリー・マック]]と対戦して勝利。[[2014年]]3月29日、IWF(International Wrestling Federation)へと参戦して[[ブライアン・ケイジ]]と対戦するが敗戦した。
 
== 得意技 ==
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== 獲得タイトル ==
; OVW
* [[OVW|OVW南部タッグチーム王座]] : 2回(w / [[ジェイソン・ポール|ザ・ネイバーフッディ]]×2)
* OVW南部タッグ王座 : 2回
* [[OVW|OVW南部タッグチーム王座]] : 2回(ww / [[ジェイソン・ポール|ザ・ネイバーフッディ]]×2)
 
== その他 ==
* 身長2メートル以上と恵まれた体格で力も持ち合わせているが、試合運びレスリング技術に稚拙な点が見られる。
* 2009年の[[ロイヤルランブル]]ではJTGとどちらが出るかでコイントスを行い、表に賭けたJTGが出場することになったが、そのコインは両方とも表が出るようになっていたという、ギミックに似合った寸劇を披露した。ちなみに[[クライム・タイム]]が出場権を得た際にはどちらかしか出場できないという条件が付けられており、2009年、2010年ともにJTGが出場している。