「ターニャ・サヴィチェワ」の版間の差分

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最初の記録は12月28日に姉のジェーニャの死亡から始まっている。
{{Cquote|1941年12月28日の午後12時30分、ジェーニャが死んだ。}}
ジェーニャは、毎日まだ暗いうちに起きては7キロを徒歩で往復し、1日2交代の工場勤務ばかりか就業後の献血もした。もともと体の弱かった彼女はそんな生活を続けられず、工場で死亡したのである。それからの日々、手帳には肉親が死んだという事実とその日時だけが淡々と綴られていく。
{{Cquote|1942年1月25日の午後3時、おばあちゃん(エフドキヤ・グリゴリェーヴナ)が死んだ。<BR />1942年3月517日の午5時、リョーカが死んだ。<BR />1942年4月13日の深夜2時、ヴァーシャおじさんが死んだ。<BR />1942年5月10日の午後4時、リョーシャおじさん<BR />1942年5月13日の午前7時半 ── ママ}}
『日記』は次の言葉で終わっている。
{{Cquote|サヴィチェフ家は死んだ<BR />みんな死んだ<BR />残ったのはターニャだけ}}