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{{出典の明記|date=2012年10月}}
'''獄門'''(ごくもん)とは、[[江戸時代]]に庶民に科されていた6種類の[[死刑]]の一つで、[[斬首刑]]の後<ref>実際には頚椎は日本刀の一撃で断てるほど柔ではない</ref>、死体を[[試し斬り]]にし、刎ねた首を台に載せて3日間(2晩)見せしめとして晒しものにする[[公開処刑]]の[[刑罰]]。'''梟首'''(きょうしゅ)、'''晒し首'''ともいう。付加刑として財産は[[没収]]され、死体の埋葬や弔いも許されなかった。
 
こうした刑罰は[[平安時代]]後期から存在し、[[平安京]]の左右にあった獄の門前に斬首された罪人の首を晒した事が「獄門」の語源であると言われている。また当時は斬首した首をただ晒すだけでなく、[[矛]]で貫いて京中の大路を練り歩くことも行われたという。以後も同様の刑罰は存在したが、本格的に[[刑法]]体系に取り入れたのは[[江戸幕府]]であったとされている。