「腹切り問答」の版間の差分

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箱根娘 (会話 | 投稿記録)
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{{出典の明記|date=2012年4月}}
[[画像:Hirota_and_Terauchi_during_the_Kappuku-mondou.jpg|thumb|right|250px|壇上から浜田議員を睨みつける寺内陸相、奥が広田総理]]
'''腹切り問答'''(はらきり もんどう)とは、[[昭和]]12年([[1937年]])[[1月21日]]に[[日本]]の[[帝国議会|議会]]内で起きた論争。'''切腹問答'''(せっぷく もんどう)、'''割腹問答'''(かっぷく もんどう)ともいう。本会議中に[[立憲政友会]]の[[浜田国松]]代議士と[[寺内寿一]][[陸軍大臣]]との間で起こったやりとりで、これが原因で[[広田弘毅|廣田]][[廣田内閣|内閣]]は総辞職した。
 
== 事件の概要 ==
この日、[[第70回帝国議会]]において政友会の浜田議員が「近年のわが国情は特殊の事情により、国民の有する言論の自由に圧迫を加えられ、国民はその言わんとする所を言い得ず、わずかに不満を洩らす状態に置かれている。軍部は近年自ら誇称して…独裁強化の政治的イデオロギーは常に滔々として軍の底を流れ、時に文武恪循の堤防を破壊せんとする危険がある」と[[二・二六事件]]以降の軍部の政治干渉を痛烈に批判する演説を行った。この時浜田は議員歴30年、前[[衆議院議長|衆院議長]]という議会の長老で、それだけにこの演説は党派を超えて多くの議員を[[うなり|唸らせる]]ものがあった。
 
これを聞いた寺内陸相は答弁に立って「或は軍人に対しましていささか侮蔑されるような如き感じを致す所のお言葉を承りますが」と険しい表情で反駁。ところが浜田が2度目の登壇で「私の言葉のどこが軍を侮辱したのか事実を挙げなさい」と逆に質問をしたため、寺内は「侮辱されるが如く聞こえた」と言い直した。それでも浜田は3度目の登壇<ref>当時の衆議院本会議では、1議員は1日に3回までしか登壇することが許されていなかった。</ref>で「速記録を調べて私が軍を侮辱する言葉があるなら割腹して君に謝罪する。なかったら'''君が割腹せよ'''」と激しく寺内に詰め寄った。これに寺内は激怒、浜田を壇上から睨みつけたため、議場は怒号が飛び交う大混乱となった。