「バングラデシュ独立戦争」の版間の差分

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[[File:Bangladesh 1971 Liberation.jpg|250px|thumb|インド介入後の戦闘の推移]]
 
'''バングラデシュ独立戦争'''(バングラデシュどくりつせんそう、{{Lang-bn|বাংলাদেশের স্বাধীনতা যুদ্ধ}})は、[[1971年]][[3月26日]]に勃発した[[戦争]]である。'''バングラデシュ解放戦争'''ともいう
 
== 概要 ==
[[バングラデシュ|東パキスタン]]地域の[[ベンガル人]]独立派に対し、[[パキスタン|西パキスタン]]の中央政府は軍を空輸して武力鎮圧を試み、これに呼応した反独立派のイスラム過激派組織がベンガル人の大量殺戮を行い、死亡者は9ヶ月で300万人に達した。これは第二次大戦全期間の日本の死者数に匹敵する
 
殺戮から逃れようとした東パキスタン住民[[難民]]が大量に[[インド]]に[[亡命]]したことから、インド政府が[[1971年]][[12月3日]]に介入([[第三次印パ戦争]])し[[パキスタン軍]]が[[1971年]][[12月16日]]に撤退、東パキスタンは「[[バングラデシュ]]」として独立した。
 
この独立戦争には前史がある。1952年、パキスタンの植民地支配に対し、バングラデシュは自国言語バングラ([[ベンガル語]])を守るため立ち上がった。1962年から1969年にかけてベンガル人からの激しい反発があり、パキスタンの軍事独裁者の失墜に至った。1970年、パキスタンの議会選挙があり、パキスタン・[[アワミ連盟]]が過半数を獲得した。しかし憲法に反しパキスタンの指導者たちは党に権力を譲ることを拒んだ。1971年3月7日、ベンガル人のリーダー[[ムジブル・ラフマン]]がパキスタン政府への非協力政策を10万人の立ち会う元で宣言した。