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'''大阪市立美術館'''(おおさかしりつびじゅつかん)は、[[大阪市]][[天王寺区]]の[[天王寺公園]]内にある[[美術館]]。館の所在[[1914年]](大正3年)に[[住友家]]本邸のあっが建てられ場所で後に住友家から美術館建設を目的に[[日本庭園]]「[[慶沢園]]」とともに敷地を寄贈され、[[1936年]](昭和11年)に旧本邸跡地に開館した。名誉館長(前館長)は[[蓑豊]]。
 
== 施設 ==
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1942年(昭和17年)、[[大日本帝国陸軍|陸軍]]に接収され[[高射砲]]第3師団司令部が置かれた。1945年(昭和20年)から1947年(昭和22年)までは[[連合国軍最高司令官総司令部|占領軍]]が接収したため活動休止を余儀なくされた。
 
美術館に併設している[[美術研究所]]は1946年(昭和21年)に創設され、[[素描]]、[[絵画]]、[[彫塑]]の実技研究を行っている。同研究所からは[[白髪一雄]]、[[吉原英雄]]、[[村岡三郎]]など多くの作家を輩出してきた。また、美術館友の会も組織されており、日曜洋画会などの活動を行っている。
 
1992年(平成4年)には[[公募展]]などの増加に対応するため、複数の美術団体展を併催できる地下展覧会室(4室)が増築された。
 
; 大阪市立美術館で開催される公募展(巡回展)
*[[日本美術展覧会|日展]]:2 - 2
*[[国画会|国展]]:6 - 6
*全関西美術展:7 - 7
*[[二科会|二科展]]:10 - 10
 
== 主な収蔵品 ==
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大阪市立美術品の所蔵品には個人コレクションの寄贈または購入によるものが多い。市による購入の他、主に大阪市民などのコレクターの寄付で8,000点を超える収蔵品が形成されてきた。[[仏教美術]]、[[エトルリア]]など地中海文明の美術、充実した中国の絵画や書、日本の江戸期・明治以降の絵画、ほか[[金工]]・[[漆工]]・[[陶磁]]など貴重な工芸品を数多く有する東洋美術の宝庫である。
 
代表的なものに、中国書画の[[阿部房次郎|阿部コレクション]]、中国石仏の山口コレクション、日本の蒔絵、根付、印籠等のカザール・コレクション、日本古美術の[[田万コレクション]]などがある。また、展示品の中には大阪府を中心とした関西地区の社寺からの寄託品もある。日本の国公立美術館の中でも歴史は古く、美術団体展や大規模企画展の貸し会場となるだけではなくコレクションを持ち常設展示をする意向が当初からあった。
 
=== 重要文化財 ===
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==交通==
*[[西日本旅客鉄道|JR]] [[大阪環状線]] ・[[関西本線]]・[[阪和線]][[天王寺駅]] 徒歩5分
*[[大阪市営地下鉄御堂筋線|地下鉄御堂筋線]] ・[[大阪市営地下鉄谷町線|谷町線]]天王寺駅 徒歩5分
*[[大阪市営地下鉄谷町線]] 天王寺駅 徒歩5分
*[[近鉄南大阪線]] [[大阪阿部野橋駅]] 徒歩5分
*[[市営地下鉄谷堺電気軌道上町線]] 天王寺駅前駅 徒歩5分
 
== 市立近代美術館計画 ==
このほかに、[[大阪市]]は19世紀以降の[[近代美術]]・[[現代美術]]のコレクション形成している。その中には、[[日本画]]の[[北野恒富]]・[[島成園]]、写真の[[安井仲治]]、現代美術の[[吉原治良]]など大阪を舞台に活躍した作家、[[佐伯祐三]]ら大阪にゆかりのある作家、[[アメデオ・モディリアーニ|モディリアーニ]]や[[コンスタンティン・ブランクーシ]]、[[ゲルハルト・リヒター]]など海外の重要な作家の作品がある。佐伯祐三の作品を一括して寄贈されたことがきっかけとなり、[[1988年]]、市制100年を記念して'''大阪市立近代美術館'''建設計画が発表され、以後コレクションの形成が進んできた。特に16億円で購入したモディリアーニの作品は話題となり議論を呼んだ。
 
当初から大阪市立近代美術館の建設用地は、[[中之島 (大阪府)|中之島]]にある[[国立国際美術館]]北隣の[[大阪大学]]医学部跡地に建設さ絞らる予定だっていた。[[1998年]]には近代美術館基本計画委員会が「近代美術館基本計画」の答申を行い、延床面積24,000平方メートルの建物を、敷地面積16,900平方メートルの土地に整備費280億円で建設する計画だったを発表<ref name="2011kindai"/>。しかし、予定地から[[蔵屋敷]]跡が発掘されたことに加え、市が財政難に陥り建設費(約280億円)が捻出できず計画は凍結状態となった。

[[2004年]](平成16年)からは長堀通沿いの[[東急ハンズ]]心斎橋店傍にある[[出光美術館]]跡のスペースを、「大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室」という名で使用し所蔵品の展示を行ってきた。建設予定地だった中之島の土地は時間貸し駐車場となっているが、2007年(平成19年)新年度予算案に約500万円を調査費として計上し、当初の事業計画を見直した上で約5年ぶりに建設に向けて事業が再開されることとなった。
 
[[2010年]]には「近代美術館あり方検討委員会」が設置され、翌[[2011年]]には「大阪市立近代美術館整備計画(案)」が発表され<ref name="2011kindai">[http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/keizaisenryaku/0000101652.html 大都市で暮らす楽しさ、豊かさを実感できる美術館~「文化が薫る都市格を備えたまち」の実現~ 大阪市立近代美術館整備計画(案)を発表します]</ref>、1998年の答申より規模は縮小されることになった。[[2012年]][[11月25日]]には大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室は閉館している。