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[[File:JSC Stardust 2006.jpg|thumb|350px|2006年、アメリカ合衆国テキサス州の[[ジョンソン宇宙センター]]で、[[宇宙探査機]][[スターダスト (探査機)|スターダスト]]が持ち帰った試料が到着した際に、勝利を意味するVサインを掲げた研究員。]]
#REDIRECT [[ピースサイン]]
'''Vサイン'''({{lang-en|V sign}}、[[Unicode]]:{{Unichar|270C|Victory hand}})は、[[人差し指]]と[[中指]]を、指先を離すようにして伸ばし、他の指は折ったままにする[[手]]の[[ジェスチャー]]。文化的文脈やその形をとる手の提示の仕方などによって、様々な意味をもっている。特に、[[第二次世界大戦]]中の[[連合国 (第二次世界大戦)|連合軍]]側の陣営においては、「勝利 (victory)」を意味する「V」の字を象った仕草として広く用いられた。[[イギリス]]や、それと文化的なつながりの深い地域の人々の間では、手のひらを自分の方に向ける形でこのサインを示し、相手への敵対、挑発のジェスチャーとする。また、多くの人々は、単に数字の「[[2]]」を意味してこのサインを用いる。[[1960年代]]以降、Vサインは[[カウンターカルチャー]]運動の中に広まり、通常は手のひらを相手側に向ける形で、[[ピースサイン]]としても用いられるようになった。
 
== 使い方 ==
[[File:Robbie paparazzi V sign.jpg|thumb|手のひらを自分に向けたVサインで、侮蔑の意を表している歌手[[ロビー・ウィリアムズ]]。]]
[[File:Steve McQueen.jpg|thumb|飲酒運転で逮捕され、マグショットでVサインをする[[アメリカ合衆国]]の俳優[[スティーブ・マックイーン]]。]]
[[File:Rihanna, LOUD Tour, Minneapolis 6 crop.jpg|thumb|upright|平和と友情のサインとしてVサインをする歌手[[リアーナ]]。2011年撮影。]]
[[File:Tehran protests (15).jpg|thumb|upright|2009年、イラン大統領選挙に関連して抗議行動をする人々。]]
Vサインの意味合いは、ある程度までは、手がどのような位置で提示されるがによって異なってくる。
* 手のひらがサインをする者自身に向いている場合、すなわち、手の甲が相手に向けられる場合は、次のいずれかを意味する。
** [[侮蔑]]として。この使い方は、おおむね[[オーストラリア]]、[[アイルランド]]、[[ニュージーランド]]、[[南アフリカ共和国]]、[[イギリス]]などに限定されている<ref name="V-sign-as-an-insult">V sign as an insult:<!--references for countries listed-->
*UK: Staff. [http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/beds/bucks/herts/7296889.stm No ban for speeding V-sign biker] [[英国放送協会|BBC]] 14 March 2008
*UK: Staff. [http://news.bbc.co.uk/vote2001/hi/english/features/newsid_1344000/1344190.stm Two fingers Prescott] [[英国放送協会|BBC]], 22 May 2001
*IE: Staff. [http://www.independent.ie/sport/soccer/shambolic-irish-give-two-fingers-to-the-past-135500.html Shambolic Irish give two fingers to the past] [[:en:Irish Independent|Irish Independent]]
*AU: [http://www.abc.net.au/profiles/content/s2193276.htm?site=science/k2 Karl S. Kruszelnicki]. [http://www.abc.net.au/science/articles/2002/10/01/655611.htm?site=science/greatmomentsinscience Arrow Up Yours & Plague 1] [http://www.abc.net.au/ www.abc.net.au]. 2008年4月23日閲覧
*NZ: Glyn Harper [http://www.massey.ac.nz/~wwpubafs/magazine/2002_Nov/stories/questions.html Just the Answer] Alumni Magazine [Massey University] November 2002.
</ref><ref>Eric Patridge, Tom Dalzell, Terry Victor. (2008.) [http://books.google.com/books?id=7UIjVGcSe8MC&pg=PA683#v=onepage&q&f=false ''The Concise New Partridge Dictionary of Slang and Unconventional English]'', Routledge, p. 683. ISBN 0-203-96211-7</ref>。
** [[アメリカ手話]]における、数字の「2」。
* 手の甲がサインをする者自身に向いている場合、すなわち、手のひらが相手に向けられる場合は、次のいずれかを意味する。
** 数字の「2」。[[非言語コミュニケーション]]における量の表現として。
** 特に戦時下や、何らかの競争における「勝利 (victory)」。これは、[[1941年]]1月に[[ベルギー]]の政治家[[ヴィクトル・ド・ラブレー]] ([[:fr:Victor de Laveleye|Victor de Laveleye]]) が、ベルギー人たちに統一のシンボルとしてこのサインを用いるよう呼びかけたことが、普及の最初の契機となった。当初はもっぱらベルギー人たちの間で用いられていたが、程なくして他の連合軍側の兵士たちもこれを真似るようになった<ref>{{Cite web|url=http://ww2today.com/20th-july-1941-v-for-victory-widespread-across-europe|title='V for Victory' widespread across Europe|publisher=World War II Today|accessdate=2014年8月12日}}</ref>。時には、両手にこのサインを作り、それを高々と挙げることもあり、[[アメリカ合衆国大統領]]であった[[ドワイト・D・アイゼンハワー]]や、それを真似た[[リチャード・ニクソン]]が、この仕草をしばしばしてみせた。
** 「平和 (peace)」ないし「友人/味方 (friend)」。世界各地における[[平和運動]]や[[カウンターカルチャー]]運動のグループなどが用いている。[[1960年代]]にアメリカ合衆国における平和運動から広まったもの。
** [[アメリカ手話]]における、文字の「V」<ref>Staff. [http://www.iidc.indiana.edu/cedir/kidsweb/asl.html American Manual Alphabet Chart] Center for Disability Information & Referral (CeDIR), Indiana Institute on Disability and Community at Indiana University</ref>。
* 動きを交えて用いる場合、次のいずれかを意味する可能性がある。
** [[エアクオート]] – 両手を使い指を曲げ、手のひらを相手側に向ける<ref>[http://www.phrases.org.uk/meanings/air-quotes.html Air quotes] entry on [http://www.phrases.org.uk/ www.phrases.org.uk] by [http://www.phrases.org.uk/gary-martin.html Gary Martin].</ref>。
** この手の形は、様々な[[手話]]において多様な意味をもっており、[[アメリカ手話]]などでは手のひらを下に向けて「look (見る/凝視する)」、上に向けて「see (見える/了解する)」といった意味になる。人差し指と中指が、手話話者自身の目を指した後で誰かを指差す場合は、「私はあなたを見ている/注視している (I am watching you.)」という意味になる<ref>[http://www.lifeprint.com/asl101/pages-signs/s/see.htm See], [http://www.lifeprint.com/asl101/ ASL University]</ref>。
** 序数の「2番目」を意味する[[アメリカ手話]]は、手のひらを前に出してVサインを作ってから手をひねって返す<ref>[http://www.lifeprint.com/asl101/pages-signs/n/numbersordianlandcardinal.htm Cardinal and Ordinal numbers]</ref>。
 
== 侮蔑の表現として ==
このジェスチャーを、手のひらを自分の側に向けて侮蔑の表現として行なうことは、しばしば(中指だけを立てて手の甲を見せる)[[ファックサイン]]に匹敵する者と見なされる。この手の形は英語では、"two-fingered salute"(二本指の敬礼)、"The Longbowman Salute"(長弓の敬礼)、"the two"、"The Rods"(竿)、"The Agincourt Salute"([[アジャンクールの戦い|アジャンクール]]の敬礼)などと称され、さらに、[[スコットランド]]西部では "The Tongs"(トング)、[[オーストラリア]]では "the forks"(フォークス)などとも呼ばれ<ref>Tony Keim [http://www.couriermail.com.au/lifestyle/tradition-behind-the-bird/story-e6frer4f-1111118071016 "Long tradition of flipping the bird"], ''Courier Mail'', November 18, 2008, accessed April 14, 2011.</ref>、手首や肘からVサインを突き上げる形で示されるのが一般的である。手のひらを自分の側に向けるVサインは、イングランドでは久しく侮蔑のジェスチャーであり<ref name="BSC-HV">Staff [http://web.archive.org/web/20080607024254/http://www.britishshakespearecompany.com/synopsis.html Henry V], [[:en:British Shakespeare Company|British Shakespeare Company]].2008年4月23日閲覧</ref>、やがてイギリスの他の地域にも普及したが、このような意味でのVサインの使用は、おおむねイギリス、アイルランド、ニュージーランド、オーストラリアの範囲に限られている<ref name="V-sign-as-an-insult" />。
 
このようなVサインは、特に権力に対する挑発 (defiance) や、軽蔑 (contempt)、嘲笑 (derision) を表現する<ref>Defiance, contempt or derision:
*Staff, [http://www.encyclopedia.com/doc/1O999-vsign.html V-sign], [http://www.encyclopedia.com/about.aspx encyclopedia.com] cites The Oxford Pocket Dictionary of Current English 2008 "Brit. a similar sign made with the first two fingers pointing up and the back of the hand facing outward, used as a gesture of abuse or contempt." Accessed 9 May 2008.
*Staff. [http://www.mirror.co.uk/sport/latest/2007/12/20/hooligan-grandson-of-legend-115875-20260703/ Hooligan grandson of legend], [[:en:Daily Mirror|Daily Mirror]], 20 December 2007
*Staff. [http://www.yorkpress.co.uk/news/2086046.vsign_led_to_assault_on_school_bus_teens/ V-sign led to assault on school bus teens] [[:en:The Press (York)|The Press (York)]], 1 March 2008</ref>。このジェスチャーは[[アメリカ合衆国]]では用いられず、オーストラリアやニュージーランドでも既に古風な表現と見なされるようになっており、代わりにファックサインが用いられることが多い。
 
侮蔑の表現としての、手のひらを自分の側に向けるVサインの例として、[[1990年]][[11月1日]]付のイギリスの[[タブロイド]]紙『[[ザ・サン]]』は、一面に[[イギリスの国旗|国旗ユニオンフラッグ]]の袖口から突き上げられたVサインの図を掲げ、その横に「お前のを挙げてみろ、ドロール (Up Yours, Delors)」と見出しを打った。『ザ・サン』は、ヨーロッパ中央政府の構想を提唱していた当時の[[欧州共同体]] (EC) [[欧州委員会委員長]][[ジャック・ドロール]]に対して二本指を掲げるよう、読者に呼びかけたのである。この記事は[[人種差別|レイシズム(人種主義)]]だとして批判を集めたが、当時の[[新聞評議会 (イギリス)|新聞評議会]] ([[:en:Press Council (UK)|Press Council]]) は、『ザ・サン』紙の編集長が、英国の利益のためには卑語を乱用することも正当であると表明したのを受け、苦情を採り上げなかった<ref>{{cite news|url=http://www.sterlingtimes.org/delors.jpg |title=Up Yours Delors |work=The Sun |publisher= |date= |accessdate=2011年10月31日}}</ref><ref>{{cite web|last=Wheeler |first=Brian |url=http://newswww.bbc.net.uk/2/hi/uk_news/politics/4124328.stm |title=BBC NEWS &#124; Politics &#124; From two jags to two fingers |publisher=Newswww.bbc.net.uk |date=2005-06-24 |accessdate=2011年10月31日}}</ref>。
 
イギリスでは一時期、「ハーヴェイ(・スミス)(a Harvey (Smith))」という呼称が、こうした侮蔑の表現としてのVサインを意味して用いられたが、これはフランスでは「[[ピエール・カンブロンヌ|カンブロンヌ]]の言葉 ([[:fr:Pierre Cambronne#Le mot de Cambronne|Le mot de Cambronne]])」、カナダでは「[[ピエール・トルドー|トルドー]]敬礼 (Trudeau salute)」が、一本指を立てる同様の仕草を意味したことがあったのと同様の現象であった。この呼称は、[[障害飛越競技]]の選手であった[[ハーヴェイ・スミス (馬術選手)|ハーヴェイ・スミス]] ([[:en:Harvey Smith (equestrian)|Harvey Smith]]) が、[[1971年]]に[[ヒクステッド全英飛越コース]] ([[:en:All England Jumping Course at Hickstead|All England Jumping Course at Hickstead]]) において開催されたイギリス飛越競技ダービー (the British Show Jumping Derby) で優勝した際、テレビに映る形でVサインを行なったとして失格とされた(2日後に失格は取り消され、スミスの優勝が再確認された)ことが由来となっている<ref>Staff [http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/august/15/newsid_2534000/2534107.stm On this Day 15 August 1971: 'V-sign' costs rider victory] "BBC The infamous gesture won him an entry in the Chambers dictionary which defined 'a Harvey Smith' as 'a V-sign with the palm inwards, signifying derision and contempt'". 2008年4月23日閲覧</ref>。
 
ハーヴェイ・スミスは、同様に公の注目を集めることになった他の人々と同じように、勝利のサイン (a Victory sign) をしたのだと主張した<ref name="icons">Staff. [http://web.archive.org/web/20081018230141/http://www.icons.org.uk/theicons/collection/the-v-sign/biography/v-for-get-stuffed The V sign], [http://web.archive.org/web/20070623145709/http://www.icons.org.uk/about-us www.icons.org.uk]. 2008年4月23日閲覧</ref>。また、時には外国から訪れた人々が「二本指の敬礼 (two-fingered salute)」を、それが地元民にとっては不愉快なものであることを知らずにしてしまうこともあり、例えば[[アメリカ合衆国大統領]]だった[[ジョージ・H・W・ブッシュ]]は、[[1992年]]にオーストラリアを訪問した際、[[キャンベラ]]で、アメリカ合衆国の農業助成金に対して抗議行動を行なっていた農民たちのグループに「[[ピースサイン]]」を出そうとして、結果的に侮蔑のVサインを出してしまった<ref>[[:en:Webster Griffin Tarpley|Webster Griffin Tarpley]] and [[:en:Anton Chaitkin|Anton Chaitkin]] (2004). ''George Bush: The Unauthorized Biography'', Progressive Press paperback edition (2004), p. 651(web link to [http://tarpley.net/online-books/george-bush-the-unauthorized-biography/chapter-25-thyroid-storm/ Chapter -XXV- Thyroid Storm]). Tarpley & Chaitkin cite the [[:en:Washington Post|Washington Post]], 3 January 1992.</ref>
 
[[スティーブ・マックイーン]]は、[[1971年]]の[[モータースポーツ]]映画『[[栄光のル・マン]]』の終幕の場面で、手の甲を外側に向けたイギリス式のVサインを見せている。このジェスチャーは、写真家ナイジェル・スノードン (Nigel Snowdon) による[[スチル写真]]に残されており、マックイーンにとっても、この映画にとっても象徴的なイメージとなった。『[[バフィー 〜恋する十字架〜]]』[[バフィー 〜恋する十字架〜#第4-6シーズン|第4シーズン]]の「静けさ ([[:en:Hush (Buffy the Vampire Slayer)|Hush]])」のエピソード(通算第66話)においては、[[ジェームズ・マースターズ]]が演じる[[スパイク (バフィーの登場人物)|スパイク]]が、このジェスチャーをやっている。この場面は第5シーズンの[[クレジットタイトル#オープニング、エンディング|オープニングクレジット]]にも使われている。この部分を検閲除去して放送したのは、この番組を夕方の早い時間に放送していた[[BBC Two]]だけであった<ref>[http://tvtropes.org/pmwiki/pmwiki.php/Radar/BuffyTheVampireSlayer Radar: ''Buffy the Vampire Slayer'', Season 4 &ndash; TV Tropes].</ref><ref>[http://24.media.tumblr.com/tumblr_mar96qd8mq1ruo8w6o1_1280.png Still photograph of the gesture in the Season 5 opening credits of ''Buffy the Vampire Slayer''].</ref>。
 
=== 起源 ===
[[2007年]]に出版された[[グラフィックノベル]]『''[[:en:Crécy (comics)|Crécy]]''』で、イングランド人の作家[[ウォーレン・エリス]] ([[:en:Warren Ellis|Warren Ellis]]) は、「長弓の敬礼」が[[1346年]]の[[クレシーの戦い]]の際に、退却するフランス人騎士たちに対してイングランド軍の弓兵たちによって行なわれたという想像を盛り込んでいる。この物語の中では、イングランド軍の中でも身分の低い長弓兵たちが、[[1066年]]の[[ノルマン征服]]以来イングランド人たちを臣従させてきた、上流階級のフランス人たちに対する怒りと挑発の象徴としてこのサインを用いたとされている。しかし、この作品はあくまでもフィクションである。
 
広く繰り返し語られている伝説によれば、2本指の敬礼ないしVサインは、[[百年戦争]]中の[[1415年]]に起きた[[アジンコートの戦い]]において、イングランドとウェールズの長弓兵たちが行なったジェスチャーに由来するものとされている<ref>http://www.britishbattles.com/100-years-war/agincourt.htm.</ref>。この説によると、フランス軍は、イングランドやウェールズの長弓兵たちを捕らえると、弓を引くために必要とされる指を切り落とす習慣があったとされ、このジェスチャーは、弓兵たちがまだ指があるぞと敵に誇示し<ref name="BSC-HV"/><ref>Glyn Harper [http://www.massey.ac.nz/~wwpubafs/magazine/2002_Nov/stories/questions.html Just the Answer] Alumni Magazine [Massey University] November 2002.</ref>、あるいは、駄洒落も込めて「pluck yew」(「[[イチイ]](弓の材料)を引く」:yew を同音の you に置き換えると「お前からかっぱらってやる」の意)と挑発するものであったという。弓兵の話の起源は分かっていないが、「pluck yew」の駄洒落の方は[[1996年]]に書かれたある電子メールから広まったものと考えられている<ref>David Wilton, ''Word Myths: Debunking Linguistic Urban Legends'', Oxford University Press, 2008, ISBN 978-0-19-537557-2.</ref>。
 
この弓兵を起源とする説は、信頼できるものではなく、フランス軍なり、他のいずれかのヨーロッパ大陸の勢力の軍勢が、捕虜とした弓兵の指を切り落としたという証拠は何も存在しておらず、当時の一般的な習慣として、生かして捕らえれば大金の身代金が得られた貴族たちとは異なり、戦場で捕らえられた身分の低い敵兵(弓兵であれ、歩兵や、ほとんど武装していない砲兵であれ)は、捕虜としても[[身代金]]を得られる価値もなく、[[即決処刑]] ([[:en:Summary execution|summary execution]]) されるのが普通であった。
 
伝えられる話の内容にも関わらず、イングランドにおける侮辱としてのVサインの使用について、曖昧でない証拠といえる最古のものは、[[ロザラム]]のパークゲイト鉄工所 (Parkgate ironworks) の前で、撮影されるのは嫌だという意思表示でこのジェスチャーを行なった労働者の姿が映像に残された、[[1901年]]までしか遡れない<ref name="icons">Staff. [http://web.archive.org/web/20081018230141/http://www.icons.org.uk/theicons/collection/the-v-sign/biography/v-for-get-stuffed The V sign], [http://web.archive.org/web/20070623145709/http://www.icons.org.uk/about-us www.icons.org.uk].</ref>。[[1950年代]]に子どもたちへの聞き取り調査を行った[[オーピー夫妻|ピーター・オーピー]] ([[:en:Iona and Peter Opie|Peter Opie]]) は、著書『''The Lore and Language of Schoolchildren''』の中で、子どもたちの遊び場における侮辱のジェスチャーとしては、より古くからあった手を開いて親指を自分の鼻につける仕草 ([[wikt:cock a snook|cock-a-snook]]) が廃れ、Vサインに置き換わったのだ、と述べている<ref name="icons" />。
 
[[1975年]]から[[1977年]]にかけて、[[デズモンド・モリス]]ら[[人類学者]]たちのグループが、ヨーロッパにおける様々なジェスチャーの歴史と普及の広がりを研究し、乱暴な含意をもつVサインが、基本的にはイギリス諸島の外では知られていないことを明らかにした。[[1979年]]に出版された『''Gestures: Their Origins and Distribution''』(日本語版: [[多田道太郎]]・[[奥野卓司]] 訳 (『ジェスチュア―しぐさの西洋文化』)において、モリスはこのサインの起源として様々な可能性を議論したが、確定的な結論に至ることはできなかった<ref name="icons" />。
 
<!--モリスの著書からの引用は、訳出していません。-->
 
== 「V for Victory」キャンペーンと、勝利=自由のサイン ==
[[1941年]][[1月14日]]、[[ベルギー]]の元法務大臣で、[[英国放送協会|BBC]]で放送されていた[[ワロン語]](ベルギーのフランス語)放送「[[:en:Radio Belgique|Radio Belgique]]」([[1940年]] - [[1944年]])の責任者だった[[ヴィクトル・ド・ラブレー]] ([[:fr:Victor de Laveleye|Victor de Laveleye]]) は、放送の中で、[[第二次世界大戦]]が続く間、(ドイツに占領されたベルギーにおける)戦いの印として、ワロン語(フランス語)で「勝利 (''{{lang|fr|victoire}}'')」を、[[フラマン語]]([[オランダ語]])で「自由 (''{{lang|nlvrijheid|}}'')」の意味で、Vサインを使うことをベルギー人に呼びかけた。このBBCからの放送の中でド・ラブレーは、「占領者は、このサインが、いつも同じように、際限なく繰り返されるのを見て、自分が包囲されていること、多数の市民たちの群衆に取り囲まれて、どこかで弱みを見せないか、どこかでヘマをやらないかと監視されていることを悟るだろう」と語った。数週間のうちに、チョークで書かれた「V」字が、ベルギー、オランダ、フランス北部の至る所に現れた<ref name="radio">[http://web.archive.org/web/20050312223729/http://home.luna.nl/~arjan-muil/radio/history/ww-2/v-campaign.html The V-campaign], Virtual Radiomuseum</ref>。
 
この成功を契機として、BBCは「V for Victory」(「勝利のV」)キャンペーンを始め、ニュース編集助手だったダグラス・リッチー (Douglas Ritchie) が「ブリットン大佐 (Colonel Britton)」役を演じた。リッチーは、耳に聞こえるVサインとして[[モールス符号|モールス信号]]の「V」(短点3つの後に長点ひとつ=ト・ト・ト・ツー)のリズムを使うことを提案した。[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の[[交響曲第5番 (ベートーヴェン)|交響曲第5番]]の、目覚ましい冒頭部分が同じリズムであることから、BBCはこれを、ドイツ側が占領していたヨーロッパの地域に向けた外国語放送の[[コールサイン]]として、戦時中ずっと使用した。音楽の教養を備えた人々にとって、[[交響曲第5番 (ベートーヴェン)#曲の構成|この「運命」の動機]]は、[[第三帝国]]の「扉を叩く ([[:en:Symphony No. 5 (Beethoven)#Fate motif|knocking on the door]])」ものでもあった({{Audio|Beet5mov1bars1to5.ogg|コールサイン}}).<ref name="radio"/><ref>C. Sterling, 2003, ''Encyclopedia of Radio'' London: Taylor and Francis, page 359. [http://books.google.co.uk/books?id=Z4XJQD4O_TkC&pg=PA359&dq=v+for+victory+campaign+bbc&hl=en&ei=u3XGTbjlL4zA8QPJ7tj2Bw&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1&ved=0CCsQ6AEwAA#v=onepage&q=v%20for%20victory%20campaign%20bbc&f=false at Google Books]</ref>。BBCは、ド・ラブレーが紹介したVサインのジェスチャーの使用も奨励した<ref>{{cite web|url=http://h2g2.com/dna/h2g2/A11047132 |title=The V sign at BBC’s H2G2 website |publisher=Bbc.co.uk |date=1990年11月1日 |accessdate=2011年10月31日}}</ref>。
[[File:Churchill V sign HU 55521.jpg|thumb|upright|1943年、有名なVサインのポーズをとるウィンストン・チャーチル。]]
[[1941年]]7月には、「V」字の象徴的な使用は、ドイツ占領下のヨーロッパの全域に広まっていた。[[7月19日]]、[[イギリスの首相]]であった[[ウィンストン・チャーチル]]は、「V for Victory」キャンペーンについて演説の中で肯定的に言及し<ref name="BBC News">{{cite news | work=news.bbc.co.uk | title=Newswatch 1940s | url=http://news.bbc.co.uk/2/shared/spl/hi/newswatch/history/noflash/html/1940s.stm | accessdate=2010年5月27日}}</ref>、以降、手で作るVサインを自ら使い始めた。初めのうちは、手のひらを内側に向けたり、葉巻を指に挟んだ状態でもこの仕草を見せた<ref>{{cite web|url=http://www.number-10.gov.uk/files/images/wc%20outside%20D%20st.jpg|archiveurl=http://web.archive.org/web/20080809194958/http://www.number-10.gov.uk/files/images/wc%20outside%20D%20st.jpg|archivedate=2008-08-09 |title=Churchill outside Downing Street |publisher=Number-10.gov.uk |date= |accessdate=2011年10月31日}}</ref>。後に、戦争が続いていくと、彼ははっきりと手のひらを外側に見せるようになっていった<ref>{{cite web|url=http://www.number-10.gov.uk/files/images/WC%20V%20sign1.jpg|archiveurl=http://web.archive.org/web/20070613151055/http://www.number-10.gov.uk/files/images/WC%20V%20sign1.jpg|archivedate=2007年6月13日 |title=Churchill's famous victory sign |publisher=Number-10.gov.uk |date= |accessdate=2011年10月31日}}</ref>。(貴族であった)チャーチルは、従者から、他の階級にとって手のひらを内側にするジェスチャーが何を意味しているかを説明されてからは、適切にこのサインを出すようになった<ref name="icons" /><ref>Staff. [http://postalheritage.org.uk/page/icons-vsign The V Sign], The British Postal Museum & Archive (BPMA).</ref>。やがて、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合軍]]側の他の指導者たちも、このサインを用いるようになった。[[シャルル・ド・ゴール]]は、[[1942年]]以降、 晩年の[[1969年]]至るまで、すべての演説の際にVサインを用いた<ref>[http://www.ina.fr/art-et-culture/arts-du-spectacle/video/I00011986/discours-de-charles-de-gaulle-a-l-albert-hall.fr.html Archive video of Charles de Gaulle's speech at the London Albert Hall], 11 November 1942</ref>。
 
[[1942年]]、イギリスの[[オカルト]]信奉者[[アレイスター・クロウリー]]は、[[1941年]]2月からのVサインの使用は自分の発案であると主張し、これは[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]による[[ハーケンクロイツ|鍵十字(スワスティカ、ハーケンクロイツ)]]の使用に対する魔術的な対抗手段なのだと述べた。彼の主張によれば、彼はこの考えをBBCに所属していた友人に伝え、さらに、[[MI5]]とのつながりを介して[[海軍情報部]] ([[:en:Naval Intelligence Division|Naval Intelligence Division]]) に伝え、チャーチルの承認を得たのだという。クロウリーは、自身が[[1913年]]に出版していた著書『''Magick''』の中で、Vサインと鍵十字を同じ図版の中で使っていたことも強調した<ref>Kaczynski, Richard. ''Perdurabo: The Life of Aleister Crowley''. North Atlantic Books, 2010, p. 511.</ref>。
 
=== ベトナム戦争、勝利と平和 ===
[[Image:Nixon-depart.png|thumb|upright|1974年8月9日、ホワイトハウスを離れるニクソン。]]
[[アメリカ合衆国大統領]]だった[[リチャード・ニクソン]]は、このジェスチャーを[[ベトナム戦争]]における勝利の印として用い、彼にとっても最も広く知られたトレードマーク的な行いのひとつとした。 彼は、[[1974年]]に[[ウォーターゲート事件]]で辞任した際にも、このジェスチャーをした。
 
[[ベトナム戦争]]に反対する抗議者たちや、その後の反戦活動、あるいは、[[カウンターカルチャー]]の活動家たちは、このジェスチャーを平和のサインとして取り入れた。当時の[[ヒッピー]]たちは、手のひらを外側に向けたこのサインを出しながら「ピース(Peace)」と声を出したので、このサインは発声との結びつきから「[[ピースサイン]] (the peace sign)」として知られるようになった<ref name="icons-asian-peace">Staff. [http://web.archive.org/web/20080621122852/http://www.icons.org.uk/theicons/collection/the-v-sign/a-harvey-smith-to-you/the-asian-v-sign-in-progress The Japanese Version (the Sign of Peace)] [http://web.archive.org/web/20070623145709/http://www.icons.org.uk/about-us ICONS. A portrait of England]. 2008年6月1日閲覧</ref>。
 
=== 日本におけるVサイン ===
[[File:Girls giving peace sign, Tokyo.jpg|thumb|upright|Vサインのジェスチャーをする日本人の若い女性。2006年、東京で撮影。]]
手のひらを外側に向けるVサインは、[[日本人]]がよくする仕草であり、特に若者が、堅苦しくない場面で写真にポーズをとる際に見受けられる。この行為についてのひとつの説明によれば、これは[[北海道]]の[[札幌]]で開催された[[札幌オリンピック|1972年の冬季オリンピック]]に出場した[[アメリカ合衆国]]の[[フィギュアスケート]]選手[[ジャネット・リン]]の影響によるものであるという。彼女はフリースタイルで転倒したが、尻餅をついても微笑みを絶やさなかった。結果は3位に終わったが、その陽気で熱心な姿は、多数の日本人視聴者たちに永く残る影響を残した。リンは一夜にして有名になった。平和運動の活動家でもあったリンは、しばしばVサインを見せ、これが日本のメディアによって報じられた。日本人はこのサインが[[第二次世界大戦]]後の[[連合国軍占領下の日本|連合国軍による占領]]に結びついたものであることを承知していたが、リンは、[[1970年代]]以降のアマチュア写真においてこのサインが広く使われるようになったきっかけとして、しばしば言及されることとなった<ref name="icons-asian-peace"/>。しかし、日本では、このサインの普及に影響を与えたのは、[[1960年代]]後半の[[ベトナムに平和を!市民連合|ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)]]のベトナム反戦運動と、[[1971年]]の[[コニカ]]の広告であったと、一般的に考えられている<ref>[http://ameblo.jp/skip9/image-10568598135-10600580586.html Japanese pop star Jun Inoue giving V gesture]</ref><ref>[http://nendai-ryuukou.com/1970/1971.htm 1971's buzzwords]</ref>。
 
日本ではこのサインの人気が高いため、[[携帯電話の絵文字]]が存在し、[[Unicode]](ユニコード)にも二文字シーケンスの U+270Cとして「✌」がある。
 
=== 中国本土、香港、韓国、台湾におけるVサイン ===
中国本土、香港、韓国、台湾においては、Vサインは写真撮影の際に広く見られるポーズである。これはカジュアルな場面ばかりでなく、フォーマルな場合にも使われることがある<ref>http://qph.cf.quoracdn.net/main-qimg-6579398286cfe0ec1698231160b64512</ref><ref>http://3.bp.blogspot.com/-cHxqAN-RIUg/Tvk0RmJVaTI/AAAAAAAAD_k/N3VVQp77Sv4/s1600/jyj_photowall_black_suits_v_sign.jpg South Korean boyband JYJ on red carpet</ref>。香港、韓国、台湾では、このVサインが「ピース/平和」を意味し得ることも、侮辱の意味で用いられる場合があることも、ほとんど知られていない。このサインの意味は、「勝利 (victory)」であると考えているものもいれば、ハッピーな感情を意味する「イェー (yeah)」 であると考える者もいる。彼らは、このサインを、手のひらを内側にも、外側にも向けて用いる。
 
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File:Norgeposthorn2ore1941v.jpg|ノルウェーの占領中、ドイツ当局がノルウェーの切手に捺印した「V」字。この印は、[[ボリシェヴィキ]]に対する勝利を意味して使われたものであったが、すぐに連合軍のドイツ占領軍への勝利を含意するものとして使われた。[[1941年]]8月のノルウェーの切手。
File:VEGA Royal Square Jersey.jpg|ドイツ軍の占領下だった[[ジャージー|ジャージー島]]のロイヤル広場 (Royal Square) で、舗装を修理した石工が、占領者の足下に残した勝利のVサイン。後に、(1944年に救援物資を運んできた)[[赤十字社]]の船「[[:en:SS Vega|SS ''Vega'']]」が加えられた。その後、「1945」の年号と、さらに下って枠線が追加されて、この舗装は記念物として生まれ変わった。
File:German Poster - V = Zwyciestwo niemiec na wszystkich frontach.jpg|1941年7月に、ドイツ軍の占領下だったポーランドに現れた、Vサインは、ソ連に対するドイツの勝利を意味しているのだと主張するポスター。
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== その他の用例 ==<!--英語版に記述がある内容のうち、典拠があるものだけを訳出。-->
[[File:Lech Walesa George H Bush.PNG|thumb|right|200px|[[レフ・ヴァウェンサ]]と[[ジョージ・H・W・ブッシュ]]。[[1989年]]7月撮影。]]
* [[ポーランド]]では、[[独立自主管理労働組合「連帯」]]の運動が盛んであった時期に、抗議者たちは、共産主義の打倒を意味するVサインを掲げた<ref name="Francisco 2010">{{cite book | last1 = Francisco | first1 = Ronald | title = Collective Action Theory and Empirical Evidence | edition = 1 | publisher = Springer | year = 2010 | pages = 46 | accessdate=2012年1月29日 | isbn = 978-1-4419-1475-0 | quote = Subtle gestures, noise, and artwork are additional symbolic signs that dissidents use in coercive countries. Poland's Solidarity's signal was two fingers held up in the form of the letter V. This gesture diffused widely in Eastern Europe and now it is used in Palestine as a symbol of unity and nationalism.}}</ref>。部分的な自由選挙が行なわれ、[[タデウシュ・マゾヴィエツキ]]が首相に選出された[[1989年]][[8月24日]]、彼は国会議員たちの前でVサインを見せ、その様子はテレビで放映された<ref name="NST 1989-09-13">{{cite news | title = End to 45 years of Red rule | date=1989年9月13日 | url = http://news.google.com/newspapers?id=IWNPAAAAIBAJ&sjid=SJADAAAAIBAJ&pg=6856%2C3067102 | work = New Straits Times | accessdate=2012年1月29日 | quote = "Tadeusz Mazowlecki, who nearly fainted during his opening speech, flashed a V-for-victory sign as deputies voted his Cabinet into office by 402-0 with 13 abstententions.}}</ref>。共産主義政権の崩壊をめぐる議論の中では、時としてVサインが示されることがある。
 
* [[ユーゴスラビア紛争]]の時期、[[クロアチア]]と[[ボスニア]]の軍隊や[[民兵]]たちは、このサインを挨拶ないし非公式な敬礼として用いていた。このため、ボスニアに駐留していた[[アメリカ軍]]や[[北大西洋条約機構]] (NATO) の平和維持部隊は、[[セルビア]]側と遭遇した際に彼らを刺激することがないよう、平和のシンボルとしてのVサインをすることが禁じられていた<ref>{{cite web|url=http://www.dtic.mil/bosnia/army/bosbuch.html#religion |title=A Soldier's Guide: Bosnia-Herzegovina |publisher=Dtic.mil |date= |accessdate=2011年10月31日}}</ref>
 
* 写真を撮影する際に、他の誰かの頭の上で、やや不明瞭な形でVサインを作り、悪魔の角なり、「ウサギの耳 (bunny ears)」を作って面白がることがある。[[2013年]]9月、[[サモア]]出身のラグビー選手[[マヌ・ツイラギ]] ([[:en:Manu Tuilagi|Manu Tuilagi]]) は、[[ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ]]の一員として[[ダウニング街10番地|ダウニング街]]を訪れた際、写真撮影のときに[[デーヴィッド・キャメロン]]首相の頭に「ウサギの耳」を作り、その後、この件について謝罪をした<ref>{{cite web|url= http://www.telegraph.co.uk/sport/rugbyunion/international/britishandirishlionsrugby/10313911/Manu-Tuilagi-forced-to-apologise-for-playing-prank-on-Prime-Minister-David-Cameron-in-No-10-visit.html|title= Manu Tuilagi forced to apologise for playing prank on Prime Minister David Cameron in No 10 visit|date=2013年9月17日|work=Daily Telegraph|accessdate=2013年9月17日}}</ref>。
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
* [[:en:Desmond Morris|Desmond Morris]] with Peter Collett, [[:en:Peter Marsh (psychologist)|Peter Marsh]] and [[:en:Marie O'Shaughnessy|Marie O'Shaughnessy]]. ''Gestures: Their Origins and Distribution''. London: Jonathan Cape, 1979. ISBN 0-224-01570-2; NY: Stein and Day, ISBN 0-8128-2607-8
*{{cite book |first1=Nancy |last1=Armstrong |first2=Melissa |last2=Wagner |year=2003 |chapter=The 'V' |chapterurl=http://books.google.com/books?id=LvbKr1qMr_AC&pg=PA227 |pages=227–30 |title=Field Guide to Gestures: How to Identify and Interpret Virtually Every Gesture Known to Man |publisher=Quirk Books |location=Philadelphia |isbn=978-1-931686-20-4}}
*{{cite book |first1=Romana |last1=Lefevre |year=2011 |chapter=V |chapterurl=http://books.google.com/books?id=tvgshSm7H9EC&pg=PA122 |pages=122–3 |title=Rude Hand Gestures of the World: A Guide to Offending Without Words |publisher=Chronicle Books |location=San Francisco |isbn=978-0-8118-7807-4}}
 
== 外部リンク ==
{{Commons category|V-sign}}
* Vサインの画像:
** [http://www.number-10.gov.uk/files/images/wc%20outside%20D%20st.jpg Churchill Outside no. 10]
** [http://www.number-10.gov.uk/files/images/WC%20V%20sign1.jpg Churchill Victory Sign]
** [http://library.educationworld.net/txt18/depart.jpg Nixon departing office]
** [http://web.archive.org/web/20080817222111/http://kuvat2.iltasanomat.fi/iltasanomat/iDoc/1353189-vayrynen400b.jpg Paavo Väyrynen after Finnish Centre party named him foreign trade and development minister]
** [http://www.need4peace.com/ Need4Peace]
 
* Vサインのニュース:
** [http://www.guardian.co.uk/gall/0,8542,972149,00.html Guardian 6 June 2002: In pictures the V sign]
** [http://web.archive.org/web/20040618185303/http://www.sky.com/skynews/article/0,,30100-13131728,00.html Sky News 18 June 2004: OAP fined £100 for V sign]
** [http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/r/rangers/7981287.stm BBC 3 April 2009: Scottish footballers dropped for V sign]
* [http://www.snopes.com/language/apocryph/pluckyew.asp Urban Legends Reference Pages: pluck yew]
 
{{DEFAULTSORT:ふいさいん}}
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