「アンミアヌス・マルケリヌス」の版間の差分

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アンミアヌスはおそらく[[アンティオキア]]生まれ。ギリシア人で高貴な家柄出身と考えられる。[[コンスタンティウス2世]]の治世下に軍隊に入り、[[メソポタミア属州]][[ニシビス]]司令官のウルシヌス旗下で軍人として過ごす。
 
ウルシヌスがコンスタンティウス2世に召還された際に彼もイタリアに戻る。[[ガリア帝国|ガリア皇帝]]に推された[[フランク族]]のシルウァヌスに対する遠征に同行する。後にウルシヌスの下で2度東部に行き、[[サーサーン朝]]の[[シャープール2世]]とのアミダ攻防戦で決死の脱出を果たす。この頃のちに『歴史』執筆を助けるヴァレリオと出会う。ウルシヌスが皇帝への忠誠を失い司令官の地位を離れるとともに一度降格したようである。
 
しかし[[フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス]]が皇帝となり、彼の地位も回復する。アンミアヌスはユリアヌスに心酔していた。ユリアヌスの下で[[アラマンニ人]]との戦いやペルシア遠征に従軍し、ユリアヌスの死後は[[ヨウィアヌス]]帝とともにアンティオキアまで撤退した。その後、軍を退役して380年頃からローマに住み始めたと考えられている。その地で『歴史』を執筆することになる。