「酒匂 (軽巡洋艦)」の版間の差分

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アジア歴史資料センター資料追加、軍艦籍加入について追記
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|搭載機||2機(射出機1基)
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'''軍艦 酒匂'''(さかわ)は、[[太平洋戦争]]中に建造された[[大日本帝国海軍|大日本帝国海軍(日本海軍)]]の[[軽巡洋艦]]で、[[阿賀野型軽巡洋艦|阿賀野型]]の4番艦。名前は静岡県および神奈川県を流れる[[酒匂川]]からとられている。戦争末期に竣工したため、作戦参加の機会もなく太平洋戦争終戦時は最後の水雷戦隊旗艦として[[七尾湾]]にて無傷で残存していた。終戦後は[[舞鶴市|舞鶴]]に回航され復員船として活動した。
 
==艦歴==
1942年(昭和17年)11月21日、[[佐世保工廠]]で起工。1944年(昭和19年)4月1日、軍艦籍に加入<ref>[[#内令昭和19年4月(1)]]p.1『内令第522号 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年四月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦、巡洋艦二等阿賀野型ノ項中「矢矧」ノ下ニ「、酒匂」ヲ加フ』</ref>。4月9日進水。[[横須賀鎮守府]]在籍<ref>[[#内令昭和19年4月(1)]]p.13『内令第535号 軍艦 酒匂 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル 昭和十九年四月九日 海軍大臣嶋田繁太郎』</ref>。同年11月30日竣工。12月11日より第11水雷戦隊旗艦<ref>[[#戦隊行動調書]]p.47『11sd 昭和19年12月11日 将旗ヲ酒匂ヘ』</ref>。上記にあるように、作戦参加の機会もなくもっぱら内地で訓練に従事していた。
1942年11月21日、[[佐世保工廠]]で起工。1944年4月9日進水。同年11月30日竣工。
上記にあるように、作戦参加の機会もなくもっぱら内地で訓練に従事していた。
 
1945年3(昭和20年)3月には姉妹にして第二水雷戦隊旗艦「[[矢矧 (軽巡洋艦)|矢矧]]とともに[[天一号作戦]](戦艦[[大和 (戦艦)|大和]]の[[坊ノ岬沖海戦|沖縄水上特攻作戦]])に参加する予定となり呉に移動したが、直前になって酒匂の出撃は中止され、呉工廠岸壁に係留。燃料不足のため、陸上から電気を引きボイラーの火は消された状態となった。終戦時は[[七尾湾]]にて無傷で残存。1945年10月1日除籍。
 
1945年12月1日[[復員輸送艦|特別輸送艦]]に指定され釜山やニューギニアなどで復員輸送に従事。阿賀野型巡洋艦の定数乗組員900名に対し、この時点の酒匂には300名しか乗艦しておらず、武装を撤去し、甲板に居住区やトイレが設置された<ref>井川聡『軍艦「矢矧」海戦記』412-413頁「復員航海」</ref>。武装は15cm砲のみ撤去し、砲塔は残っていた。艦内秩序は維持され、同乗した豪州海軍の少尉が敬礼を求めると、大原艦長は「こっちは大佐だ」とやり返したという<ref>井川聡『軍艦「矢矧」海戦記』414頁</ref>。
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== 参考文献 ==
* [http://www.jacar.go.jp/index.html アジア歴史資料センター(公式)](防衛省防衛研究所)
**Ref.{{Cite book|和書|author=C12070196500|title=昭和19年4月(1)/昭和19年1月~7月 内令|ref=内令昭和19年4月(1)}}
**Ref.{{Cite book|和書|author=C08051772000|title=昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書|ref=戦隊行動調書}}
 
* 井川聡『軍艦「矢矧」海戦記 <small>建築家・[[池田武邦]]の太平洋戦争</small>』(光人社、2010年)ISBN 978-4-7698-1479-5</br>池田武邦(矢矧航海士。終戦時、大尉)は復員船「酒匂」に分隊長として勤務。