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レドンの後任には、元ジェイムズ・ギャングのメンバーであった[[ジョー・ウォルシュ]]を迎えた。ウォルシュの加入には反対するメンバーもいたが、音楽的には一気に[[ハードロック]]色を強める結果となった。[[1976年]]には、初来日公演を果たしている。
 
[[1976年]]、彼らの代表作となる『'''[[ホテル・カリフォルニア (アルバム)|ホテル・カリフォルニア]]'''』を発表。当時のロック界ひいては都市社会の矛盾を揶揄したかのような歌詞と13本ものギターを重ねた完璧なサウンド・ワークによって、[[1970年代]]のアメリカン・ロックを代表する曲のひとつとなったフェルダーの曲にヘンリーが詩をつけたタイトル曲「ホテル・カリフォルニア」、かつての勢いを失いつつあった[[ウェストコースト・ロック]]の凋落を皮肉るように、田舎町にやって来た新参者へ向けられた地元民の一時的な強い好奇心と彼が飽きられていく様を唱った「[[ニュー・キッド・イン・タウン]]」、エゴ社会に警鐘を鳴らすかのように、好き勝手にふるまう無頼者が実は虚勢に満ちており内面に苦悩を持つことを言外ににじませた「[[駆け足の人生 (曲)|駆け足の人生]]」など、単に人間の性(さが)や振る舞いを唱っているように見えながらも暗に根深い社会問題を提起するような深みのある歌詞を、角度を替えた音響アレンジに乗せて展開した曲に散りばめてバンドとしての頂点を醸成し、全世界的な大セールスを記録し、バンドを押しも押されもせぬロック界の代表格にまで押し上げた。
 
=== バンド終焉へ ===
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