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{{出典の明記|date=2014年1月6日 (月) 06:01 (UTC)|ソートキー=人1936年没}}
 
'''ユリウス・シュレック'''('''Julius Schreck''', [[1898年]]7月13日 - [[1936年]]5月16日)は[[ドイツ]]の[[軍人]]。[[国家社会主義ドイツ労働者党]]初代[[親衛隊全国指導者|親衛隊上級指導者]]。
 
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[[1925年]]にナチ党が再結成された時、シュレックは[[エミール・モーリス]]によって''Stosstrupp Adolf Hitler''(突撃部隊アドルフ・ヒトラー)なる新しいヒトラーの護衛組織を設立する様に依頼された。その後、護衛組織は“[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]]”と名称を変更し、シュレックは親衛隊のナンバー5となった。シュレックはヒトラーによって護衛組織を指揮するように命じられ、[[親衛隊全国指導者|親衛隊上級指導者]]となった。
 
シュレックは[[1926年]]に親衛隊上級指導者の座から身を引いたが、親衛隊隊長として親衛隊には名を連ね続け、ヒトラーの個人運転手を務めた。1930年に、親衛隊が[[ハインリヒ・ヒムラー]]の下で拡大し始めたことに伴い、シュレックは[[親衛隊大佐]]に任命されたが、ほとんど実権が与えられることは無かった。シュレックは、健康上の理由により[[親衛隊上級大佐]]を最後に親衛隊から退いた後も、6年間ヒトラーの運転手を務めた<ref>[[:fr:Jacques Delarue|ジャック・ドラリュ]] [[片岡啓治]]訳 『ゲシュタポ・狂気の歴史』 [[講談社学術文庫]] ISBN 978-4061594333、123p</ref>
 
1936年5月16日に、[[髄膜炎]]により死去。37歳。[[国葬]]が執り行われ、[[親衛隊少将]]を追号された。
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
{{先代次代|親衛隊上級指導者|1925 – 1926| - |[[ヨーゼフ・ベルヒトルト]]}}