「CR機」の版間の差分
{{複数の問題| 出典の明記 = 2013年2月}}
Honda-ra303 (会話 | 投稿記録) |
({{複数の問題| 出典の明記 = 2013年2月}}) |
||
== 概要 ==
パチンコホール
CR機導入当初は、ホール内の販売機でプリペイドカードを購入後、パチンコ台横のカードリーダーに差し込んで遊技するシステムが主流であったが、残高が無くなるとカードを再購入するためにその都度席を離れなければならない、販売機の前で行列ができることがある、といった不便さから、現在ではこのシステムを採用しているホールは大都市ではまずなくなり、地方都市を中心にごく少数となった。
初のCR機は[[1992年]]8月、6メーカーから同時発表された。[[京楽産業.|京楽]]の「[[CRフラワーショップ]]」、[[西陣 (企業)|西陣]]の「CRうちどめくん」、[[SANKYO]]の「CRフィーバーウィンダム」、[[ニューギン]]の「CRエキサイトロイヤル」、[[三洋]]の「CRミラージュナイト」、そして[[竹屋]]の「CRノーザ」である。同年中には、これらに続いて[[平和 (パチンコ)|平和]]の「CRシグマ」、[[大一商会]]の「CRエルドラド」、[[マルホン]]の「CRワンダフル」も、それぞれ各社のCR一号機として登場している。CR機登場後しばらくは、導入コストがかかったり現金機の連チャン機が市場を席巻していたことなどもあり、全体的にヒット機種もないまま販売台数もさほど伸びず、各メーカー、ホールとも様子見気分が強かった。
そうした状況が一変しCR機が爆発的に普及するようになったきっかけと言われるのが、[[1993年]]11月に起こった「[[ダービー物語]]事件」である。「[[ダービー物語]]事件」によって、埼玉県内のホールおよびメーカーである[[平和 (パチンコ)|平和]]から逮捕者が出るなどの騒動となった。<!--この事件の直前にも、パチンコメーカーの組合である[[日本遊技機工業組合]](日工組)が現金タイプの連チャン機自粛を決定しており、そうした一連の動きにより、現金機の[[連チャン]]が厳しく規制される一方、CR機の普及を図った当局は、CR機に限って確率変動などの連チャン機能を認めるなど、ダブルスタンダードの動きが当然となった。-->
この年、西陣より発売された「[[CR花満開]]」は5万台以上のヒットを記録(西陣は途中で販売を自粛)し、CR機が現金機にとって代わる大きなきっかけとなった。「CR花満開」はそれまでのCR確変とは大きく異なり、<!--大当たり確率の変動に加え、保留玉連チャン、数珠繋ぎ、通常時における電チュー長時間開放など何でもありのスペックで、-->激しい爆発力が特徴であった。その後も、連チャン率80%を誇る「[[CRビッキーチャンス]]」を筆頭に過激台が次々と登場するようになり、今度は射幸性の高さが社会問題となった。▼
▲この年、西陣より発売された「[[CR花満開]]」は5万台以上のヒットを記録(西陣は途中で販売を自粛)し、CR機が現金機にとって代わる大きなきっかけとなった。「CR花満開」はそれまでのCR確変とは大きく異なり、
== パチスロのCR機対応 ==
|