「アリスカン」の版間の差分

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アリスカンは、古代ローマ時代には[[アウレリア街道]]の途上にあり、城塞都市アルルの南東の入り口、つまり大部分は市外に存在していたのである。このころには、非キリスト教徒たちが埋葬されていた。
 
4世紀末には、303年に斬首されたアルルの[[聖人]]ジュネ(ゲネシウス)の殉教との関連で有名になっていた。何世紀にもわたりこの墓地は有名なものとなり、歴代アルル[[大司教]]がそうであったように、多くの者がここに眠ることを望んだ。また当時は、そこに埋葬してもらうために、死体を乗せた小舟が[[ローヌ川]]を下ってくることもあった。小舟にはたいてい小銭が添えられており、墓堀人夫の手間賃に充てられた<ref>{{cite|title=
世界遺産で巡るフランス歴史の旅|author=松本慎二|publisher=朝日新聞出版|year=2013}}</ref>。
 
11世紀から13世紀には広く知られていた墓地の周りに多くの教会が立てられた。そうした教会の中には、いまも廃墟として残るサン=トノラ教会もあった。これは、[[マルセイユ]]のサン=ヴィクトル大修道院の所有地の一部が割譲されて建てられたものであった。また、当時のアリスカンは、[[プロヴァンス]]の人々にとっては、[[サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路]]の起点となっていた。