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== 略歴 ==
[[京都市]]中京の呉服卸商の家に生まれる。1937年、京都市立第一商業学校(現[[京都市立西京高等学校・附属中学校]])を卒業し、[[東京外国語学校]]英語科入学、1941年、[[東北帝国大学]]英文科に入学、[[土居光知]]に師事し、[[阿部次郎]]、[[小宮豊隆]]の教えを受けて[[夏目漱石]]に傾倒するが、戦争のため二年で繰上げ卒業、海軍予備学生、予備士官として各地を転々とする。戦後、仙台工業専門学校(現[[仙台高等工業学校]])教授、1948年、[[横浜市立経済専門学校]]教授、また[[横浜市立大学]]助教授、1950年、[[ガリオア]]留学生として渡米(Tulane([[チューレーン大学]])、1955年、[[東京外国語大学]]に勤務、1962年、[[東京大学]]文学部]]英文科教授、1980年、定年後[[鶴見大学]]教授。1991年、退職<ref>以上『わが文学放浪は今』南雲堂(2006)巻末「著者について」。</ref>。[[ウィリアム・フォークナー|フォークナー]]をはじめとする[[アメリカ文学]]の研究と著作、および翻訳で知られる。日本アメリカ文学会、日本ウィリアム・フォークナー協会の創設を主導し、長年、日本のアメリカ文学研究の泰斗として指導的役割を果たした。アカデミズムの枠組みを超えて文学そのものを語る文人気質の学者で、弟子筋に[[國重純二]]、[[筒井正明]]、[[荒このみ]]、[[平石貴樹]]、[[佐藤良明]]、[[柴田元幸]]らがいる。
 
2014年4月22日、[[老衰]]のため死去。94歳没。