「鉄砲山古墳」の版間の差分

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角場、埋葬施設など加筆
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規模=全長109m、高さ10.1m|
築造年代=6世紀後半|
==埋葬施設==横穴式石室|
出土品=埴輪、須恵器、土師器|
史跡指定=[[昭和]]13年([[1938年]])国指定|
画像=[[画像:Teppoyama_kofun.JPG|250px]]<br />鉄砲山古墳}}
'''鉄砲山古墳'''(てっぽうやまこふん)は、[[埼玉県]][[行田市]]の[[埼玉古墳群]]内にある[[前方後円墳]]である。別名御風呂山古墳
 
==概要==
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また、周濠を含めた全長は163メートルと推定されている。
 
古墳群中3番目の大きさの前方後円墳である。[[二子山古墳 (埼玉県)|二子山古墳]]を80%に縮めた形をしている。[[1967年]]、[[1983年]]、[[2008年]]および[[2010年]]~[[2015年]]までの予定で[[発掘調査]]がされており、[[円筒埴輪]]、朝顔形埴輪、[[土師器]]、[[須恵器]]などが出土している。築造時期は[[6世紀]]後半
古墳群中3番目の大きさの前方後円墳である。[[二子山古墳 (埼玉県)|二子山古墳]]を80%に縮めた形をしている。従来二重で方形の堀を持っていると考えられていたが、[[2012年]]・[[2013年]]の発掘調査で墳丘西側の外堀のさらに外側から堀が検出され、全国でも希な三重の周堀を持つ古墳であることが判明した<ref name=hokokukai>「第46回 遺跡発掘調査報告会 発表要旨」34頁 埼玉県立さきたま史跡の博物館発行 2013年7月</ref><ref name=kensei>{{Cite web|url=http://www.pref.saitama.lg.jp/news/page/news131129-05.html|title=県立さきたま史跡の博物館 鉄砲山古墳で三重堀と中堤造出しを発見~現地説明会を開催~|work=県政ニュース|publisher=埼玉県|accessdate=2013-12-12}}</ref>。また2013年の調査で墳丘西側の中堤から突出する造り出し状の施設が確認されている<ref name=kensei />。名前は[[江戸時代]]に[[忍藩]]の砲術演習所があったことに由来する<ref>「ガイドブックさきたま」28頁 埼玉県立さきたま史跡の博物館発行 2010年11月</ref>。2012年の調査でも[[造り出し]]東側から的を立てた柱の穴が確認された<ref>「第46回 遺跡発掘調査報告会 発表要旨」32頁 埼玉県立さきたま史跡の博物館発行 2013年7月</ref>。別名御風呂山古墳。築造時期は[[6世紀]]後半。
 
鉄砲山古墳の際だった特徴として、二つのことが挙げられる。ひとつは全国的にとてもめずらしい三重堀を有する古墳であることで、古墳の西側の一部で三重目の堀が確認されている。ただし全周するのかどうかは明確でない<ref name=kensei />。三重堀をもつ古墳は、[[福岡県]][[久留米市]]にある[[御塚・権現塚古墳|御塚古墳]]、同県[[うきは市]]の[[月岡古墳]]のほか、[[千葉県]][[山武市]]の[[大堤権現塚古墳]]等に認められている程度である<ref name=kensei />。
==埋葬施設==
後円部で行われた2011年のレーダー探査と2012年の発掘調査の結果から、横穴式石室である可能性が高い<ref name=hokokukai />。また墳頂に大きなくぼみがあることから、既に盗掘を受けているとみられる。
 
もうひとつは西側中堤から大きく突出する[[造出し]]状の施設が確認されていることで、同様の施設は[[稲荷山古墳]]、[[二子山古墳]]、[[将軍山古墳]]でも確認されている<ref name=kensei>{{Cite web|url=http://www.pref.saitama.lg.jp/news/page/news131129-05.html|title=県立さきたま史跡の博物館 鉄砲山古墳で三重堀と中堤造出しを発見~現地説明会を開催~|work=県政ニュース|publisher=埼玉県|accessdate=2013-12-12}}</ref>。埼玉古墳群以外では[[群馬県]][[藤岡市]][[七輿山古墳]]や[[福岡県]][[八女市]]の[[岩戸山古墳]]で同様の施設が確認されているものの、規模は小さく、位置や構造も異なる<ref name=kensei />。
==副葬品==
 
[[1967年]]、[[1983年]]、[[2008年]]および[[2010年]]~[[2015年]]までの予定で[[発掘調査]]がされており、[[円筒埴輪]]、朝顔形埴輪、[[土師器]]、[[須恵器]]などが出土している。
== 埋葬施設 ==
後円部上で行われたレーダー探査と発掘調査の結果から、南に開口する[[横穴式石室]]が存在することがわかっている。ただし石室本体の発掘調査は行われておらず、未盗掘か否かは不明。南側くびれ部に石室へ向かう階段状の墓道が設けられていて、石室入り口は粘土で厚く覆われていた。前庭部から底部穿孔の須恵器大[[甕]]が出土している<ref>岩田明広「行田市埼玉古墳群(鉄砲山古墳・二子山古墳)の調査」『第46回 遺跡発掘調査発表要旨』 さきたま史跡の博物館 2014年7月</ref>。
 
== 忍藩角場 ==
「鉄砲山」という名前は[[江戸時代]]に[[忍藩]]の砲術演習所(角場)があったことに由来する<ref>「ガイドブックさきたま」28頁 埼玉県立さきたま史跡の博物館発行 2010年11月</ref>が、発掘調査によりその具体的な姿が確認されている。訓練場があったのは北側くびれ部付近で、訓練場を造るために墳丘が改変されていた。銃砲弾が通る「矢道」、的を立てた柱穴、命中状況を見る者が隠れた「矢見塚」などが確認され、付近からは1~200匁の18種類・154点の銃砲弾が掘り出されている<ref>岩田明広「行田市埼玉古墳群(鉄砲山古墳)の調査」『第46回 遺跡発掘調査発表要旨』 さきたま史跡の博物館 2013年7月</ref>。
 
== 脚注 ==
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*[[日本の古墳一覧]]
*[[埼玉県の古墳一覧]]
*[[大堤権現塚古墳]] - 鉄砲山古墳と同じく三重堀をもつ前方後円墳。
 
== 外部リンク ==