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日本人にとって神は超自然的な物であり、畏れられると共に敬われもした([[御霊信仰]]など)。神を斎き祀るとは、恐怖としての神を信仰し御霊とすることで鎮めることにある。天皇は[[皇祖神]]である[[天照大神]]の血を引いているとされ、神々と同じく尊い方であるとされた。それら神々を祀る[[神社]]は、神を磐座や禁足地より降臨させ祭り事を執り行う臨時のものであったが、次第に禁足地に対して拝殿が、そして神そのものが常駐するという本殿が造営されるようになった。これらの神と穢れは相成り得ないものであり、神社での[[手水舎]]は、外界での穢れを祓うために設置されている。
 
日本での仏教は神道との習合がいたるところで存在し、両者での考えが入り乱れていることもある(寺院における鳥居、建築様式など)。穢れも同様である。更に古代日本においては罪と穢れの区別が曖昧で、政治的な罪を起こした者を「穢れ」と表現して京から追放したり、強制的に改名させて[[カバネ|姓]]などを奪う(天皇に仕える資格を剥奪する)事で天皇の身の清浄性を維持する事が行われている<ref name=kushiki>櫛木謙周「穢観念の歴史的展開」(『日本古代の首都と公共性』(塙書房、2014年) ISBN 978-4-8273-1267-6)。</ref>
 
=== 穢れ観念の起源 ===
穢れという観念が[[日本]]に流入したのは、[[奈良時代]]後期または[[平安時代]]だと言われる。死、出産、血液などが穢れているとする観念は元々[[ヒンドゥー教]]のもので、同じく[[インド]]で生まれた仏教にもこの思想が流入した。特に、平安時代に日本に多く伝わった平安仏教は、この思想を持つものが多かったため、穢れ観念は[[京都]]を中心に日本全国へと広がっていった。また、平安時代後期以後、国家鎮護や天皇・貴族のために加持祈祷を行う上位の高僧([[学侶]])には皇族や貴族出身者など上流階級出身者の子弟が増加し、彼らは神祇祭祀の主催者である天皇に仕えるために身の清浄さを維持する必要が生じたため、葬儀など穢れに接する可能性の高い行事へは参加をせず、[[堂衆]]と称された下級僧侶や遁世僧と呼ばれる聖が行うようになり、僧侶間の階層分化を進める一因となった<ref>上島享「〈王〉の死と葬送」(『日本中世社会の形成と王権』(名古屋大学出版会、2010年) ISBN 978-4-8158-0635-4 (原論文発表は2007年))。</ref>。一方で、日本における穢れの思想は神道の思想や[[律令法]]で導入された[[服喪]]の概念とも絡み合って制度化されるなど、複雑な発展を遂げていった。[[藤原実資]]は日本の穢れは天竺(インド)・大唐(中国)にはないものであると解しており(『小右記』万寿4年8月25日条)、[[藤原頼長]]も穢れの規定は(中国からの移入である)[[律令]]にはなく、(日本で独自に制定した)[[格式]]に載せられていることを指摘している(『宇槐雑抄』仁平2年4月18日条)<ref>櫛木謙周「穢観念の歴史的展開」(『日本古代の首都と公共性』(塙書房、2014年) ISBN 978-4-8273-1267-6)。</refname=kushiki>。
 
=== 賤視から不浄視へ ===
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