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Iso10970
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Hohi233
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→石川啄木一族の墓
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7行目:
==石川啄木一族の墓==
岬への取り付け道路は車一台分程度の幅である。車を利用しない観光客は[[函館市企業局交通部|函館市電]][[谷地頭
停留場|谷地頭]][[
停留所]]から登り坂を20分程度上って岬に至るが、この坂の途中の[[墓地]]の一角に、[[石川啄木]]及びその一族の墓がある。啄木は、2年弱に及ぶ[[石川啄木#放浪時代|北海道での放浪生活]]の第一歩を函館の青柳町で記しており、死後、左手に啄木の好んだ[[大森浜]]を望むこの地に、友人である[[宮崎郁雨]]らの手によって建てられたものである。墓碑には、歌集「[[一握の砂]]」に収められた「東海の小島の礒の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる」が刻まれている。この墓の隣には、宮崎郁雨と[[砂山影二]]の歌碑が建つ。
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