「租借地」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2014年3月14日 (金) 19:38 (UTC)}}
'''租借地'''(そしゃくち)とは、ある国が条約で一定期間、他国に貸し与えた土地のこと。租借期間中は、貸した国には潜在的な[[主権]]が存在するが、実質的な[[統治権]]は借りた国が持つ。[[立法]]・[[行政]]・[[司法]]権は借りた国に移る。「[[wikt:|租]]」とは[[年貢]][[田賦]]のことで、租借地・租界とは税を取って借す領域、あるいはより狭い区域<ref>[[KO字源]]「租」</ref>のこと。

租借料が支払われることを想定した用語であるが、実際にはそれぞれの条約によった。中国の場合、[[アロー号事件]]のさい[[イギリス]][[]]国政府から[[九龍半島]]を年500銀で租借したものの半年後の[[北京条約]][[割譲]]となり、それ以降に設定された租借地においても租借料の支払いは無くなった。一方で[[租界]]は、通常は都市などのより狭い一部区域に設定されるもので、[[永代借地]]契約であって地主や中国政府に[[地代]]を支払う必要があった。
 
== 歴史 ==
[[日清戦争]]後、英仏独露のヨーロッパ列強が[[]]国を脅迫し、沿岸の要地を租借したのが端緒である。[[帝国主義]]列強による[[勢力均衡]]の賜物といえ、借りた国は行政長官などを派遣して[[植民地]]同様に扱った。また[[膠州湾租借地|膠州湾]]、[[関東州]]、[[威海市|威海衛]]では、租借地の周囲に[[中立地帯]]が設定された。
 
[[中国]]以外では、[[1878年]]に[[イギリス]]が[[オスマン帝国]]から[[キプロス島]]を租借([[第一次世界大戦]]でトルコが負けると植民地として[[併合]])。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]が[[1999年]]に返還した[[パナマ運河|パナマ運河地帯]]も租借地であった。
 
=== 清国における租借地 ===