「ソ連占領地域」の版間の差分

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[[1949年]]以降の[[冷戦]]期、[[西ドイツ]]は、東ドイツの存在を承認していなかったため、[[1972年]]に[[東西ドイツ基本条約]]を締結するまで「DDR」(ドイツ民主共和国)の代わりに、「SBZ」という略字を使った。政治対立のなかで西ドイツは、「いわゆるDDR」や「ソ連ドイツ」、「東部地域」、「ソ連地域」、あるいは単純に「地域」という言葉も使った。新聞社、特に[[アクセル・シュプリンガー]]社は、東ドイツの存在を承認することができないという態度を示すために、[[1989年]]夏まで一貫して、[[引用符|カッコ]]つきで「DDR」という書き方をした<ref>[http://www.abendblatt.de/extra/service/944949.html?url=/ha/1978/xml/19780201xml/habxml780103_3564.xml Beispielhaft hier in einem Artikel] des ''[[:de:Hamburger Abendblatt|Hamburger Abendblatt]]s'' von 1978</ref><ref>Heiner Bröckermann und Sven Felix Kellerhoff: [http://www.welt.de/die-welt/politik/article4235636/Als-aus-der-DDR-die-DDR-wurde.html ''Als aus der „DDR“ die DDR wurde. Der Verzicht auf die Gänsefüßchen kam in der WELT zur rechten Zeit''], in: [[ディ・ヴェルト|Die Welt]], 1. August 2009.</ref>。
 
東ドイツは、1970年代まで、場合によってはそれ以降も、[[ベルテルスマン]]出版の本、西ドイツの行政用語や一般用語でも、「中部ドイツ」と書かれた。[[オーデル・ナイセ線]]([[自由都市ダンツィヒ]]を含む)の東側は、ポーランド政府の統治下にあり、[[ケーニヒスベルク (プロイセン)|ケーニヒスベルク]]を含む[[東プロイセン]]北部([[カリーニングラード州]])はソ連の統治下にあったが、[[国際法]]的には、[[ドイツ最終規定条約]]が結ばれるまでは[[ドイツ]]に所属していることになっていたためである。
 
== 関連項目 ==
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