「ユージン・オニール」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Ken5kanto (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
Ken5kanto (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
29行目:
 
=== 中期 ===
『地平線の彼方』がブロードウェイで上演された同じ1920年の11月、オニールはプロビンスタウン・プレイヤーズによって一幕劇を発表した。『皇帝ジョーンズ』(The Emperor Jones)である。脱獄囚の黒人が、[[西インド諸島]]のある島で皇帝として君臨する。しかし反乱が起き、脱出をはかり、ジャングルをさまよったあげくに殺される。オニールは、[[カール・ユング]]の提唱する「集合的無意識」などの学説を参考にしつつ、主人公ジョーンズが追いつめられる心理を表現主義的技法で描いた。ニューヨーク小劇場のネイバーフッド・プレイハウスで上演されたこの劇は、5年後にロンドンでも上演され、オニールの名を世界に知らしめるきっかけになった。
 
さらに同じ年の12月、オニールの戯曲『別物』(Diff'rent)がプロビンスタウン・プレイヤーズによって上演された。この劇は一ヶ月後にブロードウェイで上演され、オフ・ブロードウェイからブロードウェイに進出するという図式の先駆けになった。しかし、この過程において、プロビンスタウン・プレイヤーズは、オニールを含むブロードウェイ進出を志向する者と、あくまでも小劇場運動を続けようとする者との間で分裂が起き、創始者ジョージ・クラム・クックが脱退するという事態を招いた。その後もプロビンスタウン・プレイヤーズは活動を続けるが、1929年には不況の影響で閉鎖・解散することになる。