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また、遠く[[ペルー]]北部の[[カハマルカ]]県から運ばれたと思われる[[カハマルカ]]式の土器も展示されている。同時に、現[[ボリビア多民族国]]に中心があった[[ティワナク]]文化圏から運ばれたと思われる[[ティワナク]]様式土器も展示されている。
 
==特徴歴史==
=== ワリ文化 ===
ワリ文化の起源は、はっきりとはわかっていない。ただし、この地域にはワリ以前にワルパと呼ばれる地方文化があったことがわかっている。
 
http://www.cuscoperuhotel.com
 
==ワリと[[= ティワナク]] ===
{{See also|ティワナク|{{仮リンク|ティワナク文化|es|Cultura tiahuanaco}}|:es:Cultura tiahuanaco|プカラ文化}}
 
ワリが栄えた時代には、現在のボリビア共和国に[[ティワナク]]と呼ばれる文化が栄えていたことが確認されている。おそらくこの[[ティワナク]]社会はかなり複雑な[[国家]]レベルの政治組織を持つ社会であっただろうと言われている。かつて、ワリはティワナコイデあるいは海岸ティアワナコとよばれていたが、現在では[[ティワナク]]とは異なった政治組織および文化であることがわかったため、ワリと呼ぶようになった。
 
また、ワリ遺跡では[[ティワナク]]様式の土器などが散見されるが、[[ティワナク]]遺跡ではワリ文化の遺物が発見されることはほとんどない。
 
=== ワリと[[インカ]] ===
{{Main|{{仮リンク|ワリ帝国|es|Imperio tiahuanaco-huari|en|Wari Empire}}}}
 
ワリの滅亡後、300年が経過すると、[[インカ帝国]]が成立する。ワリの支配の方法は[[インカ]]帝国にも受け継がれたといわれており、さまざまな面で影響を与えているといわれている。たとえば、インカ帝国全土に広がる道路網はワリ帝国の時代に基礎が築かれている。また、ワリの王統が[[インカ]]に継承されているとも言われており、口承で残っている。さらに、インカ期に用いられた[[キープ (インカ)|キープ]](結縄)と呼ばれる縄の結び目を利用した文字の代替用具が、ワリ期にすでに存在したとも言われている。さらに、[[インカ]]の宿敵であったチャンカは、[[アヤクーチョ]]が起源といわれている。
 
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