「ワリ」の版間の差分

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ワリでは、各地を支配するためのすぐれた建築物を多数配しており、現在の[[ペルー共和国]]北部にある[[{{仮リンク|ワマチューコ]]|es|Huamachuco|en|Huamachuco}}市郊外の[[{{仮リンク|ビラコチャパンパ]]|es|Wiracochapampa|en|Wiraquchapampa}}遺跡や、南部の[[クスコ県]]にある[[{{仮リンク|ピキリャクタ]]|es|Piquillacta|en|Pikillaqta}}遺跡は有名である。壁を二重に巡らした、長方形の部屋状構造物を特徴とするこのワリの建築群は、ワリの支配の一つの指標として議論されているが、実際には、地域によって差が見られ、地域によっては土着の政治組織を覆うような形で支配をしていたことを示すものもあるという。
 
ワリ期には、壁の下に埋葬が伴われることがあった。これはアヤクーチョのワリ遺跡でも見られるし、また、クスコ郊外のピキリャクタでも見つかっている。ピキリャクタの人骨の中には、頭蓋変形が施されたものもある。
ワリ文化に代表される考古学遺物のうち、大型のカメやケーロと呼ばれるコップ状の土器は有名である。ワリ文化では、[[トウモロコシ]]酒([[チチャ]])を用いた儀礼活動が盛んに行われていたとされており、その儀礼が執り行われた後、土器を壊して土中に埋める儀礼が行われていたとされている。カメには人物像や作物などが描かれている。
 
ワリ期の[[織物]]も海岸地域で複数見つかっており、そこには[[ティワナク]]文化や[[プカラ]]文化]]と共通する「杖をもった神」の図像が描かれている。描かれるモチーフは同じものが多いが、描かれ方がこれらの文化とは若干異なっている。[[ティワナク]]文化の同じ図像に比べ、ワリ文化の図像は、ティワナクの図像とは異なった様式化がされている(表現に困るが、強いて言えば、漫画っぽくなっているといったよな感じであろうか)。これは土器に描かれている図像も同じである。ワリ期に利用されていた帽子も見つかっており、おそらく権力者が利用さていたものであろうとされているが、その特徴は4つの角を持ち上部が平らな物である。これと似たような帽子は[[ティワナク]]文化でも利用されていたと言われている。
 
また、ワリ文化では、[[黒曜石]]の流通も一部で行われていた。ただし、[[黒曜石]]が珍重された[[メソアメリカ文明]]と異なり、[[アンデス文明]]においては、[[黒曜石]]は、その鋭利さやガラス質の質感や漆黒の色感は珍重されたものの、それでも、他の石材と比較して特別に重要視されていた石材ではなかった。しかし、紀元前の社会から流通があったことは分かっている。
 
ワリ文化では、自らの領域内に、アンデスでは数少ない[[黒曜石]]の産地を数カ所持っていたので、多少は利用されていたようである。例えば、[[アレキ]]にあるAlcaやChivay付近、[[クスコ]]の山間部では[[黒曜石]]を産出するため、その交易がワリ期に広範囲にわたって行われていたことが分かってきている。[[ティワナク]]遺跡やその周辺遺跡から出土する黒曜石のほとんどが、このワリ文化圏から移入されていたと言われているが、実際の[[ティワナク]]関連遺跡からの出土総数は極めて少なく、石鏃などの一部に利用されているにすぎない。ティワナク文化ではむしろ黒色玄武岩などが珍重され、この石材はプーマをかたどった彫像など特殊な彫像などのために利用されている。ワリ文化では、特にワリ遺跡の中心部などでも、尖頭器(槍先)が出土しており、威信財として用いられていた可能性があるが、正式な調査はなされていない。また、チャートなど在地の石材が主に日常生活の利器には利用されていた。
http://www.cuscoperuhotel.com
 
ワリが栄えた時代には、現在のボリビア共和国に[[ティワナク]]と呼ばれる文化が栄えていたことが確認されている。おそらくこの[[ティワナク]]社会はかなり複雑な[[国家]]レベルの政治組織を持つ社会であっただろうと言われている。かつて、ワリはティワナコイデあるいは海岸ティアワナコとよばれていたが、現在では[[ティワナク]]とは異なった政治組織および文化であることがわかったため、ワリと呼ぶようになった。
 
ワリと[[ティワナク]]の境界はおおよそ[[モケグア県]]あたりであったといわれている。[[{{仮リンク|モケグワ]]ア|es|Moquegua|en|Moquegua}}には、ワリの地方遺跡である[[セロ・バウル]]と[[ティワナク]]政体の飛び地である[[オモ遺跡]]群がある。これらは、それぞれ立地条件が異なっており、セロ・バウルが山の頂に、オモ遺跡群が[[モケグア川]]の近く谷底周辺に立地する。両者の具体的な関係はわかっていないが、このように棲み分けがなされていたことは注目に値する。
 
 
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