「西村康稔」の版間の差分
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[[兵庫県]][[明石市]]生まれ。実家は時計店で、父親は[[サラリーマン]]。[[神戸大学附属明石中学校]]、[[灘中学校・高等学校|灘高等学校]]、[[東京大学]][[東京大学法学部|法学部]][[卒業]]。灘高校時代の同級生に[[小林俊行]]、[[牧野淳一郎]]らがいる。大学時代はボクシング部に所属。[[1985年]]、[[経済産業省|通商産業省]]入省。通産官僚時代は[[風力発電]]の導入促進、アルミ缶のリサイクル制度の制定に携わった。[[経済企画庁]]への出向や、[[石川県]]商工課長を経て、[[アメリカ合衆国]][[メリーランド大学]][[大学院]]で国際政治経済を専攻し<ref name="co">「略歴」『[http://www.cao.go.jp/minister/1212_y_nishimura/#profile 内閣府副大臣 - 内閣府]』[[内閣府]]。</ref>、[[1992年]][[5月]]に[[修士号]]を取得した<ref name="co"/>。[[1999年]]、通商産業省[[環境立地局]]調査官を最後に退官<ref name="co"/>。退官後は、[[原健三郎]]元[[衆議院議長]]の秘書を務める。
[[2000年]]の[[第42回衆議院議員総選挙]]に、引退する原の[[地盤]]を引き継ぎ[[無所属]]で[[兵庫県第9区|兵庫9区]]から出馬したが、[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]公認の[[宮本一三]]に敗れ、落選した。[[2003年]]、[[第43回衆議院議員総選挙]]に再び無所属で兵庫9区から出馬し、前回敗れた宮本を下して初当選。[[保守]]系無所属の新人議員5人で[[院内会派]]「[[グループ改革]]」を結成後
[[2012年]]12月の[[第46回衆議院議員総選挙]]では、民主党の[[浜本宏]]、[[日本維新の会]]の谷俊二らを大差で下して4選。選挙後に発足した[[第2次安倍内閣]]において[[内閣府副大臣]]に任命された。[[2013年]]2月、2009年に退会した町村派に約3年半ぶりに再入会。
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