「みどりのテーブル」の版間の差分

== 沿革 ==
===設立までの経緯===
[[新党さきがけ|さきがけ]]最後の代表[[中村敦夫]]率いた[[みどりの会議]]が、[[2004年]]の[[第20回参議院議員通常選挙|参議院議員選挙]]の結果、中村落選で[[高橋紀世子]]不出馬・引退で所属[[国会議員]]が皆無となったため、[[2004年]][[7月22日]]の党大会で[[政治団体]]としての解散を決定し、新たな出発について話し合う場として'''みどりのテーブル'''を設け、コーディネートを[[第20回参議院議員通常選挙|参議院議員選挙]]候補者であった[[小林一朗]]に委任した。小林らは、[[第20回参議院議員通常選挙|参議院議員選挙]]の若手候補者を中心とした暫定運営委員会を立ち上げ、[[第20回参議院議員通常選挙|参議院議員選挙]]を[[勝手連]]的に支えた、全国各地域の[[無党派]]・市民派の市民、地方議員、ローカルパーティーなどと協力しながら、再始動に向けた準備を進めた。
 
一方、[[2005年]][[2月11日]]~[[2月13日|13日]]の3日間、アジア太平洋地域でみどりの政治に取り組む[[政党]]、政治団体、NGO、NPO、市民団体、市民運動が参加し「アジア太平洋みどりの京都会議2005」が開催された。この会議において、みどりの党の国際ネットワークである[[グローバルグリーンズ]]のアジア太平洋地域の組織「アジア・パシフィック・グリーンズ・ネットワーク」が発足し、'''みどりのテーブル'''は[[虹と緑]]、[[神奈川ネットワーク運動]]とともにこれに参加した。また、会議最終日である[[2005年]][[2月13日]]には'''みどりのテーブル'''の設立総会も開かれ、政治団体として正式に発足した。
87

回編集